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鋼鉄の愛馬と魔法の書が君を四大陸へいざなう。 知らない場所、初めての街、さまざまな出会いが軌道の先にある。 シャレてる暇はない。さあ、出発の時間だ! |
第0018号 2002.11.02-11.04 |
↑上 二戸駅に入線してくる583系臨時列車「思い出のはつかり号」。この顔を見ると、「特急」という感じがする。583系には乗ったことがない。ちょっと前まで走っていたので、乗っておけば良かったなぁ。過去の名車両を見るといつもそう思ってしまう。 (二戸駅にて 2002.11.02) →右 秋の渓谷を渡る国鉄色キハ58。紅葉の中を行く国鉄色はとってもノスタルジック♪ 湯瀬渓谷は季節で楽しめるのでおすすめ。 (湯瀬温泉駅付近にて 2002.11.04) |
11/02(土) 菊名〜東京〜盛岡〜二戸〜八戸〜青森
うげ〜気持ち悪い…
二日酔いである。旅立ちの時、二日酔いだったり、徹夜明けだったりと、まともな体調で出発できる日のなんと少ないことだろうか…。昨日、会社の飲み会に誘われて、2500ぐらいまで飲んでいたためだ。もちろん手加減しようと思ったのだが、気づいたときには酔っぱらってわからなくなっていた(^^;
なんとか旅の準備をする。っていうか、当日に旅の準備をするなと言う話もある。だが、前日に用意をしてしまうと、当日にもう一度バッグを開けて忘れ物がないか確認する必要がある。だから、当日用意しても同じだと筆者は思っているのだ。
菊名駅で三連休パスを自動改札に通す。りんご〜ん!りんご〜ん!
あう、いきなり券詰まりか! ここで券を呑まれると大ピンチである! 往復できる交通費など持ち合わせていないし、持っていたとしても払いたくない。始発なのでまだ緑の窓口は開いていない。駅員さん、いてくれ! 必死の思いで窓を叩くと駅員さんが現れた。よかった〜♪幸先いいんだか悪いんだか…
いきなりの危機を乗り越え、いつものように横浜線の始発列車にのり、京浜東北線に乗り換えて東京へ向かう。蒲田の辺りでどうしようもなく嘔吐感が襲ってきた。しかし、ここで降りてしまうと目的の列車に乗ることができなくなってしまう。ドアの辺りに座り込み
万が一に備えゲロ袋を握りしめながら必死に耐える
誰だよ、0600の新幹線に乗るなんて無茶な計画を立てたのは! って…自分だ(T_T)
とりあえず時間を戻して旅立ちのいきさつから話を始めよう。旅に出ることが決まったのは今週の月曜日。最近、道連れの常連となった阿瀬見から届いた一通のメールがきっかけだった。「今週末の三連休どっかいかない?」と、ただそれだけの内容。一応末尾に「東北方面なんてどう?」と書いてある。訳すと「東北地方に行きたいので計画を立てなさい」ということ(^^;
これが届いたのが0945である。
人が働いていないと思って好き放題である。まったく。しょうがないので時刻表を買いに行く。
時刻表のどこを見るか、順番は決まっている。まずは最初の黄色いページにある割引切符で三連休パスが発売されることを確認。同じく黄色のページで臨時列車を確認である。
そこに583系の臨時列車「思い出のはつかり号」を見つけた。青森−上野間なので東北に行くならついでに見ることができる。そしてもうひとつ、あの日本一短いトンネルのある吾妻線に165系の急行草津が走るようだ。
この2つの臨時列車を絡めた旅程を考える。一方が東北、もう一方が群馬なので、なかなかおもしろい旅程ができあがった。こういう移動距離のある旅程は考えていておもしろい♪
旅程を阿瀬見にメールで送りつける。「臨時列車を絡めてとりあえず旅程を作りました。嫌なら再検討するよ」訳すと訳すと「旅程はこれで決定。文句ある?」となる(笑)
一応前回参加の山崎にも決定済みの旅程を送りつけて参加を問うが、こちらは用事があるので来られないとのこと。まあ三連休直前まで予定がないのは筆者と阿瀬見ぐらいなのだろう(笑)
参加人数が決定したところで切符を買いに行く。三連休パスは指定席が取り放題なので、乗りそうな列車は全てピックアップして、取れるかどうか調べてもらう。
結果、さすがに直前ということで、希望通りの指定券はほとんど取れなかった。でもまあこんなものだろう。
とまあ、今回も適当に旅の準備をしたわけである(笑)
さて、当日に戻ろう。
なんとか嘔吐感に勝利し、東京駅の新幹線ホームへたどりつく。0555。筆者の家からはこれ以上早く東京駅に到達することはできない。家が近くの阿瀬見には先に入場券でホームに入ってもらって席をキープしてもらっている。待ち合わせの車両に行くと阿瀬見が出迎えてくれた。筆者は顔面蒼白だったらしく、阿瀬見が心配げに声をかけてくる。が、筆者が二日酔いでこうなるのはいつものこと。阿瀬見が本当に心配していたのは列車に間に合わないんじゃないかってことのほうなのかもしれない。それはともかく気持ち悪いのでしゃべらせないでくれ…
0600の臨時列車が東京駅を発車する。阿瀬見がチキン弁当を食べるのを横目にみながら、必死に二日酔いと戦う筆者。が、10分もしないうちに敗北した。少々もったいないが、二日酔いでは旅も台無しなのでトイレで吐く。吐いた車両はE2系とE351系(特急あずさ)との2つに増えた(笑)
とりあえず復活し、阿瀬見とだべっているうちに盛岡に到着。
乗るときは気持ち悪くて気づかなかったが、このE2系、ラインが赤からピンクへと塗り替えられており、従来の8両から10両編成に変わっていた。来月のダイヤ改正で「はやて・こまち」となるためにE2系は順次このタイプに改装されていくのだろう。従来タイプのうちかなりの編成数が改装されているようだ。新型のE2系1000番台の編成に出会うのは難しいかもしれないなぁ。同じ10両編成だと、時刻表で判別できないし、運次第ということか。
さすがに盛岡は寒い。菊名もだいぶ寒かったが、さすがにこっちの寒さとは桁違いだ。真冬の装備で来ているのだが、それでも寒い。
二人は寒いを連呼しながら在来線のホームへと急ぐ。乗り継ぎ時間がないのだ。青森行きの特急はつかり1号はすでに入線していた。その自由席を見て足が止まる。
ものすごい乗車率だ。通路もデッキも人で一杯になっている。山手線とまでは言わないが、普通の通勤列車並みに混んでいる。しかもラッシュの達人ではない家族連れであるため、混乱を極めていた。
実は筆者達はこの列車の指定権を持っていた。しかし、希望とは異なる喫煙車両のものだった。あわよくば自由席に座ってしまおうという腹づもりだったのだが、この図を見てしぶしぶ喫煙車へ。ラッシュと煙の二択だった…(T_T)
幸い喫煙車両の煙幕はたいしたことはなく、まだ体調が万全ではない筆者も耐えられそうだった。しかし、ただでさえ短い乗り継ぎ時間を二択に費やしたため、駅弁を買う時間がなかった。空腹の筆者はワゴン販売に唯一の望みを託したが、指定席車両のデッキすら人で埋まっている状態では、ワゴン販売がやってくる望みは薄かった。
一戸を過ぎ、もうすぐ目的地の二戸である。筆者がメシを諦めたのとワゴンが来たのはほぼ同時だった。もはや食べる時間はない。しかし、あのラッシュを抜けてきたおねーちゃんの根性に感動を覚え、満足感はあった(笑)
二戸に降りるとさらに寒い。つーか、雪降ってきたよ(^^;
ちなみに天気予報はこの三連休とも雨だそうだが、晴れ男である筆者がいるかぎり、雨なんか降らせない。でも、実は筆者は晴れ男ではない。大雪にはよく出くわすのだ。だから、正確には「雨を降らせない男」なのである。今回も傘は持っていない。雪なら傘は必要ないのだ(笑)
二戸は、東京から出発して臨時列車の「思い出のはつかり号」を迎撃できる最北地点である。おそらく同じようなもくろみでやってきているのであろう、「てつ」っぽい人種がたくさん下車した♪ みんな手に手にカメラを持っているので一目瞭然だ。
新幹線のための新しい駅舎はもう完成していた。と、その新しい駅舎の中に列車が進入してきた。うおっ!「はやて」じゃん!
なんと例のE2 1000番台の新型車両が試運転で入ってきたのだ。ちゃんと停車し、発車の時にはおなじみのJR東日本の発車チャイムが鳴っていた。着々とダイヤ改正の準備が進められているようだ。
思ったよりも人が多いので、食べ物を探すのを諦めて撮影場所を探す。光源の向きで場所は限定されてしまうので、いい場所は早い者勝ちだ。もっとも筆者はデジカメなので、立派なカメラを持っている人とはちょっとポイントが異なる。阿瀬見も筆者もそれほど「撮りてつ」ではないので、適当に場所を確保する。
この列車が来るまでの時間が異様に長く感じられる。
来た!と思ったら回送列車。でも旧色の485系だったので、迷わずカメラを構える。前回、前々回と、デジカメの起動時間と電池切れにより、ことごとく撮影失敗してきた。その反省をいかして、今回はデジカメを研究してきた。
電源を入れっぱなしだと電池の消耗が速く、しかも、1分程度で自動的にパワーセーブモードになってしまう。しかし、このモードの時は電源が切れていてもレンズが撮影状態をキープしているため、セーブモードから復帰するまでの時間が短いのだ。そして待っている間は液晶を使わない撮影モードにしておくことで電池の消耗も押さえられる。
この作戦で485系の撮影は成功。次はいよいよ本番だ。
上り列車到着の放送がはいる。いよいよだ。と思ったら、やってきたのは貨物列車。しかも、この駅で停車する模様だ。そして入ってきたのは筆者達のいるホーム。583系の入線する向かい側のホームから列車を狙っていた筆者らは貨物列車が邪魔で撮影できない!
583系がやってくるまではあと数分しかない。こちらのホームにいる筆者を含む全員が反対側のホームへと走る。内心必死だったが、皆が走る姿はどこかおもしろい(笑)
583系が入線するホームでは最初からいた人達が場所を確保しているため、その人達の撮影の邪魔にならないようになんとか場所を確保する。しかし、狭いホームに人が一杯で撮影しにくい。
そして、ようやく入線してきた583系の撮影に成功。このページの最初の一枚がそのときの写真。583系の向こう側に見えているのが憎き貨物列車である(笑)
阿瀬見がカメラ機材を片づけるのを待っている間、下り列車の接近のアナウンスの声。見ると列車のライトが見えた。しかし、ライトの位置がこの辺りを通る車両のどれとも違う。筆者は目が悪いので列車が近づくまで車両の判別がつかない。そしてようやくそれが見慣れない貨物列車だと気づく。同時に阿瀬見の悲鳴が上がる。
どうやら新型の機関車らしい。気づくのが遅かった上、ホームが離れていたため詳しく見ることはできなかった。
あとから調べてみたらEH500という機体で、青函トンネルを通って首都圏と北海道を機関車の付け替えなしで行ける新型らしい。ホームページで見かけた写真はみんな赤だったが、このとき見たのは青かった気がする。機関車はよく知らないのだが、結構レアだったのかもしれない。
筆者らは次の特急はつかり3号で八戸へと向かう。この列車は指定席が取れなかったので自由席に乗り込む。しかし、1号ほどではないが混雑している。デッキに押し込まれ、でかい荷物を持っている阿瀬見は大変そうだった。八戸まではすぐだったのが救いだった。
八戸の駅舎はすっかり完成していて、いつでも新幹線を迎えられるようだった。と、そこにまたしてもはやてが入線してきた。もちろん、新幹線ホームは立入禁止のはずなのだがはやてに乗客が乗ってる!
いわゆる試乗会というヤツだ。映画の先行試写会みたいなもので、地元の人が試乗しているのだろう。うらやましい。なんとか乗れないものかと思って辺りを見回すと、「試乗受付」と書かれた札を発見!もしかして、試乗できるのか? が、どうやら受付は終了しているようで、だれも集まっていなかった。う〜ん、残念。
ここからはのんびりと汽車の旅だ。八戸線は八戸と三陸の久慈を結ぶ単線の非電化区間である。久慈では三陸鉄道に接続している。三陸はJRと三陸鉄道が交互に領地を持っているため、一度入り込むとなかなか出られない難儀な地域である。
単線ローカル汽車と来れば筆者の好みである。
やってきたのはキハ40の二両編成。白地に赤のラインが入っている、いわゆる盛岡色というやつである。この季節では出番はないが、スイッチ式の扇風機を装備している。窓は一枚ガラスのものに変更されているが、問題なく開く。窓が開くっていうのはローカル線にとっては大きな魅力のひとつだ。さすがに今日は寒いので開けようとは思わないけど…(^^;
列車の中でディーゼルエンジンの唸りを聞きながら時刻表をめくり、途中下車の計画を練る。途中下車不能であることが判明!
鮫(さめ)という途中にある大きな駅までは本数が多いのだが、そこから終点の久慈までの区間は列車の本数が半減している。今夜は青森に泊まろうと思っているため、夕方には八戸に戻る必要がある。となると、久慈までは行って帰ってくることしかできないことがわかった。
…うーん、さすがに計画していなかっただけのことはあるな(笑)
乗った列車は鮫行きで、鮫での待ち時間が2時間弱あるので、途中下車はそこだけということになった。
海が見えてきたところで鮫駅に到着。降りると潮の香りがした。かなり大きな港町で、大きな水産関係の加工工場がいっぱい見える。
駅を出て観光案内の地図を眺めると、歩いてすぐのところにうみねこの繁殖地である蕪島(かぶじま)なる場所があるという。この町の一番の観光地のようなので、街の見物がてら行ってみることにした。
蕪島は港に出るとすぐにわかった。赤い鳥居がよく目立つ、頂上に神社のある島だ。広い駐車場には車はなく、誰も観光客はいなさそうだった。もっともまだ午前11時である。3連休の初日のこんな時間に、普通の観光客はいないだろう。
行ってみるとちっともうみねこがいない。これは当たり前で、説明文を読むと時期は5〜7月らしい。フェンスで仕切られて立入をを禁じられたエリアには、うみねこのフンで白くなった岩が見えることから、その時期に来れば、すぐ近くでうみねこが子育てをしているはずだ。フンの量からして、かなりたくさんのうみねこが集まるのだろう。こんな人里近くにうみねこがコロニー(繁殖地)を持っているのは珍しいとのこと。天然記念物になっているだけのことはあるようだ。
信心がないのでお参りはしなかったのだが、ふと英語版のおみくじが置いてあることに気づいた。100円を箱に入れておみくじをGET。英語でflower oracleと書いてある。もしかして花占いとかでおみくじとは違うものなのだろうか?
中を開けてみると「quite fortune」とある。まあまあ幸運?小吉かな? で、日本語と同じように恋愛、結婚、金運、健康などについてそれぞれ書いてある。健康のところに「飲み過ぎ注意」と書いてある(笑)(もちろん英語)
あたってるけど、すでに手遅れな気もする(^^;
他にも誠意をもっていれば大丈夫とか、おみくじに書いてありそうなことが英語で書いてあった。結構意味は通じる。裏に日本語もあったので、答え合わせをしてみると、まあ75点というところですか(^^;
そのまま駅とは反対の方向に歩くと水産科学館なるものがあった。びみょ〜に名前からは内容が想像できない…。
と、入り口が固く閉ざされている。札は開館中となっているのだが…。阿瀬見と顔を見合わせていると、正面玄関の脇の扉が開いて、観光客らしい人達が出てきた。…ここが出入り口らしい(^^;
どうやら強風のため、押し戸の正面玄関では風で扉が開いてしまうようだ。こちらの横の出入り口は横スライドドアだ。わずかな隙間を風が吹き抜けて、びゅーびゅーとすごい音がする。寒さと強風で冷え切った体に暖房が心地よい♪
上の階に屋内の展望台があり、太平洋を見渡せる。この辺は航路になっているようで、大型の貨物船やタンカーが一定間隔で行儀良く並んで航行していた。その下の階は展望レストランになっていて、筆者はようやく食事にありつくことができた。注文した「ウニとじ丼」は、ウニを卵でとじた、カツ丼のカツのところがウニになっている物だった。筆者はウニは火を通した方がうまいと思うので、生ウニを避けたのだ。潮の香りがいっぱいで、ついでに量もいっぱいで、筆者の小さい胃は軽く100%を超えてチャージされた(^^;
田舎にくると物価が安い。東京と同じ値段でも、量が違うのだ。
蕪島(かぶじま)の遠景。うみねこの繁殖地で天然記念物に指定されている。うみねこの繁殖期は5〜7月なので、この季節はなにもない。観光客もおらず寂しい限り。
一度、繁殖期に来てみたい。
(鮫駅付近にて 2002.11.02)
タブレットを受け取る駅員。タブレットを確認し、手動で信号機を切り替えて初めて列車が次の区間に進入できる。JR東日本で、現在もタブレット交換を行っているのは八戸線のみである。
列車はキハ40。
(種市駅(?)にて 2002.11.02)
駅に戻って、久慈行きの列車に乗る。もう途中下車はない。終点の久慈にいられるのも5分だけで、すぐに折り返してくることになる。あとは車窓を眺めながらのんびりと汽車旅を楽しもう。と思ったら、ここからが本番だった(笑)
前述のように八戸線は単線なわけだが、ここではタブレット方式というのを使って列車がぶつからないように管理している。
最近では集中管理により信号機、ポイントを制御しており、列車側にもATC(自動列車制御)がついていて衝突しないようになっているところがほとんどだ。列車に乗っていて駅が近づくと「きんこんきんこん…」とベルが鳴るのを聞いたことがあるだろうか。あれはATCが列車の操作を要求しているときに鳴るもので、ある一定時間内に運転手がブレーキをかける操作を行わないと、自動的に停車される。
八戸線では信号もポイントも手動である。列車としてはATCが装備可能だが、線路側にその装置はない。全て人間の手によって運行されているのだ。タブレットを使っているのは他にも見たことはあるが、それは二重措置みたいな感じで使われており、全部手動なのは八戸線ぐらいなのではないだろうか。
タブレット方式を簡単に説明すると、■というタブレットを持っている列車のみが■区間を通ることができるというものである。これにより■区間には1編成の列車しか進入できず、単線においての列車衝突を防止できる。
▲区間から来た列車が■区間に入る前には、境界の駅に▲タブレットを返却し、■タブレットをもらわないといけない。この受け渡しは駅員と運転手の間で行われれるので、タブレット区間の境界の駅には必ず駅員が必要になる。ポイントの切り替えと信号の切り替え(同調してると思われるが)も駅員が昔ながらのでっかいレバーを操作して行う。上り下りの列車がすれ違うときなんかは駅員さんは大忙しで、▲区間から来た列車から▲タブレットを受け取り、■区間から来た列車に▲タブレットを渡しつつ■タブレットを受け取る。そして■タブレットを▲区間から来た列車に渡すという手順が必要になる。駅員さんは両ホームを行き来しなければならず、しかも運転席は対角であるから、まるまる1編成分を走ることになるのである。
文ではわかりづらいかもしれないが、仕組みはごく簡単なものである。
タブレット本体はでかい五円玉のような、まん中に穴の開いた金属の固まりだが、それだと持ち運びに困るので、大きなわっかの着いたホルダーに入れてある。写真を見てもらうとわかるだろう。
区間が変わるたびにタブレットの受け渡しが行われるので、その度に撮影に出かける。ぜんぜんゆっくりしている暇がない(笑)
デジカメでの撮影はなかなか難しかった。なぜなら、その受け渡しが非常に瞬間的なものであるためだった。列車のダイヤを守るためには速やかにタブレット交換が行われるのは当然のことだ。筆者らにはイベントでも、当の本人達には通常業務なのである(^^;カメラ向けてるんだから、ポーズとってくれればいいのに(笑)
終点の久慈に到着。たった5分の待ち合わせだったので、てっきり乗ってきた車両が折り返すのかと思っていたのだが、向かいの列車に乗り換えなくてはならなかった。すっかり油断して荷物を片づけていなかったので、慌てて乗り換える(^^; おかげで、久慈駅ではほとんど何もできなかった。
傾いてきた日を浴びながら、列車が走る。しかし八戸線は遅い…。山の中の勾配区間では明らかにそのスピードが落ちる。人間の走る速度ぐらいしか出ていない…。八戸線は長さの割に時間がかかるのはこのスピードが原因のようだ。まさかパワーが足りないというわけではないのだろうけど…。でも、結構エンジンうなってるなぁ。急勾配用のキハ52を導入すれば速くなるかな。筆者の個人的な趣味としては是非導入してもらいたいものだ(笑)
八戸線は予想していなかったおもしろさで、新幹線ができたら通ってしまうかも知れない♪
満足した筆者らは八戸からスーパーはつかり18号で青森へ向かう。八戸線に乗る前に指定席を取っておいたのだ☆ 八戸ではたくさんの人が降りるため、八戸−青森間は指定席が空いているようだ。
もっとも、このノウハウも新幹線が来るまでの間だけしか役には立たない。
盛岡から乗った「はつかり」も、この「スーパーはつかり」も、ダイヤ改正でなくなってしまうからだ。おそらくスーパーはつかりとしては最後の乗車になるため、青森到着までしっかりと起きていた。
11/3(日) 青森〜弘前〜大館
今日は列車の旅ではなく観光地巡り。昨日は寝不足で二日酔いの最悪状態だったので、今朝はゆっくりと起床。ホテルの朝御飯なんて久しぶりに食べたよ(笑)
天気は曇りだが、かなり怪しい。まあ傘が必要になることはないと自負しているけど♪
まずは青函連絡船であり、博物館となっている八甲田丸の見学だ。八甲田丸は当時の青函連絡船の船着き場に接岸されている。青函連絡船はカーフェリーならぬトレインフェリーであり、青森駅のすぐ近くに船着き場がある。青函連絡船に列車を乗せるために、青森駅のレールは全て海に向かって延びており、全ての列車が青森駅でスイッチバックして出ていくのである。
と、その青森駅のホームに見慣れない車両を見つけた。JR東日本の列車じゃないぞ!
すぐに駅へと向かい、ホームへ駆け下りるがすでにその車両の姿はなかった…。駅のポスターを見ると、あの車両が描かれている。ダイヤ改正で八戸−函館を結ぶ、特急スーパー白鳥だったようだ。惜しいことをしたなぁ。
観光するはずがいきなり「てつ」な行動を取ってしまった。でも反省しない(笑)
八甲田丸は3回目だが、何度来てもおもしろい。日本の幹線輸送を担っていた青函連絡船の歴史は波瀾万丈で、特に青函トンネルができてからのそれぞれの船を追いかけた青森の地方新聞の連載記事では、乗ったことがない筆者でさえ、涙があふれてくるのを禁じ得ない。本当に人々に愛されていたんだなぁと実感する。この展示を見ただけの筆者でも、この船がもう一度、青森−函館間を航行すると聞けば、何をおいても駆けつけて両手をちぎれんばかりに振ることだろう。
お台場にある船の科学館にも青函連絡船「羊蹄丸」がいるので、青森まで来られないというひとはこちらを見に行ってはいかがだろうか。ちなみに筆者は船の科学館に行きたいと思いつつ、まだ行ったことがない。今度行ってみよう。
ちなみに青函連絡船が歌詞に出てくる、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の碑があり、近くを通ると大音量で歌が流れる。 ちょっと恥ずかしいので思わず立ち去ってしまうのだが、それでも曲は流れ続ける。なんとフルコーラス!(笑)
でも、ホント、青函連絡船がさよなら航海をしたときは、たくさんの人がこの唄を思い浮かべたんだろうなぁ。
冒頭の歌詞にでてくる、上野発の夜行列車も今度の改正で「はくつる」が廃止され、新潟経由の「あけぼの」のみになってしまう。筆者ですら寂しいと思うのだから、激動の昭和を生きた人達にはたまらなく切ないだろうなぁ。
それにしても寒い。八甲田丸で暖房が入っていたのは受付のあるロビーだけで、特に船倉にあたる車両甲板では体の芯まで寒さがしみこんでくる。
震えながら街の食堂に駆け込んで昼御飯。せっかく青森まで来たのだから、うまい海産物でも食べようと言うことで、ホタテづくし定食を注文する。ちょっと奮発して松の2500円なり☆ 刺身や塩焼き、そして塩辛までホタテだった。予想通り筆者にはちょっと量が多かったものの大満足♪
青森観光はこれにて終了。ちょうどいい特急がなかったので、普通列車で弘前へ移動する。
弘前駅で筆者らの目を惹いたのは赤いディーゼル機関車。前後に除雪ユニットを連結したDE15だ。
まだ午後になったばかりだというのに、すでに夕方のような北国の斜光を浴びて、ぴかぴかと輝いていた。活躍の季節を前に、点検と清掃が終わったばかりなのだろう。
除雪車両が除雪をしているところを一度見てみたいのだが、そのためには凍えるような寒さの中、いつ来るともわからない列車を待つことになる。なかなか難しい。
弘前城ではちょうど紅葉祭りが開催されていた。いつも春に来ているので、紅葉の弘前城というのは初めて見た気がする。桜が咲いていると気がつかないが、もみじの木が結構植えてあり、紅葉もキレイだ。
初めての阿瀬見を案内しながら、天守閣へ。お金がかかるのはこの天守閣のみである。大人200円。実は筆者、この天守閣に入ったことがなかった。いつも混んでいるのと、天守が小さいことがその理由だ。
弘前城の今の天守閣は、本当の天守閣が落雷で焼失してしまったため、辰巳櫓を改修して天守としたものである。元々の天守閣が5層なのに対して、現在の物は3層と小さい。小さいと言っても、城の規模に対してという意味であり、地方の城の中にはもっと小さい天守閣はいくつもある。
現存天守であるため、あまり観光客が歩きやすいようにはなっていない。荷物が大きいと階段を通れないので、受付の人に言って、預かってもらうとよい。あと、大きな人も最上階へ抜けるところは通れないかも知れない…。階段も急なので、無理しないことが大切だ。
中は刀や鎧、民芸品などが飾ってあり、ごく普通の展示になっている。特に説明もないので、骨董品好きな人以外には大して興味を惹くものではないだろう。
最上階にはベランダのような部分はなく、銃狭間から外を覗くような格好になる。のぞき穴からなので、雄大な景色という訳にはいかないが、岩木山はよく見える。
弘前城は外堀まで現存しており、追手門から入って北門に抜けるとかなりの距離がある。
天守閣から北門へ行く途中に、休憩所として武家屋敷を模した建物があった。できあがったばかりのようで、筆者も初めて見る。入ってみると、外見とは異なり、フローリングとテーブルと椅子。ちぇっ、畳だったらゴロゴロしようと思ったのに(^^;
部屋をぐるりと囲むように、過去の「弘前城桜祭り」のポスターが飾られていた。筆者が見たことがあるのは最後の5年間ぐらいのものだけだ。筆者の生まれた年のものもあり、歴史の流れを感じることができて興味深い。どのポスターも祭りの日付が同じだったのは意外だった。てっきり温暖化の影響で、昔はもっと遅い時期だと思っていたのだが、昔も今と変わらずGWに開催さていたのだった。
地球の温暖化がこの桜祭りの日付を変えてしまうことのないように、なお一層の二酸化炭素排出削減に取り組んでいかなければならない。そのためには一人一人の心がけが大切である。みんな、列車に乗るように(笑)
弘前の駅まで歩いて帰るつもりだったのだが、100円バスが市内を巡回しているようなので乗ってみることにした。時刻表はなく、10分間隔ぐらいで運行されているようだ。
バスは普通の路線バスではなかった。入り口がひとつだけの小さなマイクロバスで、観光用だったのを無理矢理使っているようだ。この不況で、貸し出し用のバスが余って、それを有効活用しているのかもしれない。「降ります」ボタンがいかにも後付けで、表に配線が引き回してある。
まあ100円なのだから文句はない。そこそこ席が埋まっており、利用客もそれなりについているようだ。「105円です」とか言われたらどうしよう
などと心配していたのだが、ちゃんと100円ぴったりだった(笑)
小銭はあったのだが、細かすぎて、10円x10枚で払うはめになり、ちょっと恥ずかしかった(^^;
日はすっかり傾き、夜のとばりが降りようとしていた。
このときの青でもなく黒でもない色。これをイメージカラーにしているものといえば、ブルートレインである。
阿瀬見が寝台列車に乗ったことがなく、前々から乗りたがっていたのだが、遠くに行くには日程と予算的に折り合いがつかず、なかなか乗せてあげられなかった。そこで、今日は簡易的ながらも寝台特急に乗ることにした。
寝台特急日本海は、大阪−青森・函館間をその名の通り日本海側経由で結んでいる。通常なら寝台列車には寝台券がないと乗れないのだが、青森−秋田間に限り、指定席券で乗ることができる。寝台のベッドの下段に二人がけで座るのだ。ただの指定席券であるため、毛布や浴衣などの使用は厳禁である。秋田から乗ってくる人がこのベッドを使うので、ちゃんと守ろう。
この手は筆者は何回か使っている。指定席券をGETし、寝台特急が来るまでホームで撮影をして遊ぶ。
青森から秋田までならともかく、大館は弘前の次の駅。30分ちょっとの時間しか乗っていられなかったが、なかなか堪能してもらえたようで、寝台に乗ると決意を新たにしていた♪
どうやら、年が明けたら寝台特急出雲で冬の日本海に連れ出されることに決定されたようだ(^^;
しかし、筆者は何とかだまくらかして寝台特急さくらで長崎に連れて行くことをもくろんだのだった(笑)
あっという間に大館に到着。ここで常宿にしているのは「まる斎」という駅からすぐのところにあるホテル。個人経営のホテルで、おばちゃんとおじちゃんが二人でやっている。お世辞にもきれいとは言えない古いホテルなので、まだあるかどうか心配だったのだが、元気に営業しておりました♪
一泊4600円。愛用している数年前のホテル帳には5500円と書いてあるので、だいぶ安い。最近は客が減っているのか、地方の都市のホテルは軒並み値下がりしている。安いのは嬉しいが、ホテルがなくなってしまったら、ぶらり旅に困るなぁ。
荷物を置いたらすぐに出発。
今夜は第2の目的、「きりたんぽ鍋をたべよう!」を実践するのである。ちなみに、これから行く「三朝庵」というきりたんぽ鍋屋は、ホテルのおばちゃんが教えてくれた店である。インターネットで検索するとたくさんヒットする、結構有名な店らしい。
二人分だったが、二人とも満腹。最初は「追加でうどんとか入れたいね〜」などと言っていたのだが(笑)
ちなみにこの大館、知る人ぞ知るきりたんぽ発祥の地である。また、渋谷にいる忠犬ハチ公のふるさとだったりもする。駅にはJRハチ公神社なるものがあり、ハチ公らしき秋田犬の像がある。
花輪線の始発駅だったりもするし、大館はお気に入りの駅のひとつなのだ。
弘前城天守閣。
(弘前城にて 2002.11.03)
(弘前駅にて 2002.11.03)
11/04(月) 大館〜八幡平〜湯瀬温泉〜盛岡〜東京〜菊名
0630。昨晩おじちゃんに言われた通り、無人のカウンターにルームキーを返却して出発。
開店したばかりの駅のコンビニに、できたての鶏めし弁当が並ぶ。この駅弁が大館駅のもうひとつのお気に入りである。比内鶏を使った鶏めしで、昭和20年からこの味を守り続けている、歴史のある駅弁である。横川の駅弁同様に、これ以外には駅弁はない。花輪線の始発のでるこの時間に、すでに売っているところが嬉しい♪
始発列車は国鉄色のキハ52と現行の盛岡色キハ58x2両の混成。おしいっ!全部国鉄色なら最高なんだが。
でもまあ、今一番のお気に入りであるキハ52の国鉄色に乗れるのは嬉しい。
ところで、最初の旅程では今日は群馬で165系の急行草津に乗るということになっていた。この列車、特別列車なので全席指定なのだが、席が離ればなれでしか取れなかったので、予定を変更して本日は花輪線ぶらり旅とあいなったのである。つい2ヶ月前に来たばかりという話もあるのだが、キハ52がいるし、国鉄色はいるし、窓は開くしと、素晴らしい路線なので何度来ようとかまわないのである。今日も寒いので窓は開けないけどね
問題はどこで途中下車するかという事なのだが、いくらお気に入りとは言え、また湯瀬温泉というのも芸がない。かといってそれ以外の温泉はまだこの時間だと入れそうもない…。
悩んでいると阿瀬見から提案があった。隣の駅で降りて、湯瀬渓谷を経由して湯瀬温泉に行くという案。
おお〜、それだ! 渓谷を歩いた後に温泉なんて最高のプランニングである。
花輪線は十和田南の駅でスイッチバックし、列車の向きが変わる。
その十和田南の駅で、懐かしい列車に出会った。白地にモスグリーンのラインの入った急行色のキハ58・28のコンビ、急行よねしろである。こんな列車が花輪線にいるとは全然知らなかった。確かに時刻表には急行よねしろの文字はあるが、まさかこんな懐かしい車両で運転されているとは夢にも思わず、まったくチェックしていなかったのだ。
懐かしい列車だけあって、急行よねしろには何人かの「てつ」が乗り込んでいた。
国鉄色に乗ってきた筆者はよねしろを、よねしろに乗ってきたてつは国鉄色を撮影し、お互いの列車に戻る。ああ、ちょっと「よねしろ」にも乗ってみたかったなぁ…
この時間ならば十分リカバリー可能である。かなり飛び乗りたかったのだが、何とか踏みとどまった。
八幡平(はちまんたい)で下車。駅の待合室で地元の人と話をして、始発で来てこれから湯瀬渓谷に行くと言ったら驚かれた。というか、横浜から鉄道で回っているという事そのものに驚いている風だった。阿瀬見もそうだが、思った以上に普通の人の行動半径は狭いらしい。日本全国津々浦々を巡っている筆者にはそっちのほうが信じられない。日本はこんなにきれいなのになぁ。でも筆者も外国にはほとんど行ったことないので大きな事は言えない(笑)
しばらく適当に歩いて湯瀬渓谷の入り口を発見。看板がないのでわかりにくいが、前回湯瀬渓谷で見た、葉っぱとトンボをあしらった道しるべがあったので、見つけることができた。
ようやく谷の底に太陽の光が届き始めたばかりのすがすがしい渓谷。朝日を浴びて水が輝き、光を透かした紅葉がきれいだ。少しもやがかかっているのがさらにいい感じ。早起きは旅の基本だね♪
最終日なので筆者はメモリ容量、阿瀬見はフィルム本数を気にせずに、ばんばん撮影しながら進む。アップダウンはほとんどなく、川と線路に沿った道だ。
前々回、佐藤君と来たときにも、湯瀬温泉側からこの渓谷をかなり歩いた。その時は次の駅まで道がつながっているとは知らなかったので、途中で引き返したのだが、その時到達していた場所は、実は八幡平の駅の近くだった。
ちょうど列車が通る時間が近づいていたので、獅子淵から鉄橋を見上げて撮影を行った。やってきたのは盛岡色のキハ52・58の編成だった。
知っている場所だと、不安がない分、知らない場所を歩いているときよりも距離を短く感じるものだ。あっという間に前回撮影した笹の渡橋に到着。本当はここで撮影しようと思っていたのだが、予想以上に早く来すぎて列車までまだ30分もある。また、光線の向きもあまり撮影に向いていなかったので、ちょっと急ぎ足で湯瀬温泉まで抜けてしまうことにした。
川の流れる音だけが静まりかえった山にしみこんでいく。2ヶ月まえはトンボで賑やかだったのが嘘のようだ。あのときは暑くて汗だくになったのだが、さすがに今日は汗が垂れてくることはない。そんな歩きやすい気候のおかげもあって、すぐに湯瀬温泉に到着した。
湯瀬ホテルそばの橋から、鉄橋を渡る花輪線を撮る。春はウグイス、夏はカッコウの声を流していたスピーカーだが、今日は何も鳴かなかった。だまし声の冬バージョンはないらしい(笑)
やってきた列車は国鉄色のキハ58。このページの冒頭の写真がそれである。紅葉の中の国鉄色はとってもノスタルジックだ。
撮影を終えたら今度は温泉。しかし、その前にどうしても確認しておかなければならないことがある。温泉の隣にある酒屋がやっているかどうかである。前回はやっていなくて非常に悔しい思いをしたのだ。
今日もシャッターが閉まっていた。いや、よく見ると表の自販機の投入口にはガムテープが貼ってあり、封印されている。…どうやら廃業しているらしい(T_T)
ああ、来年の花見の時には、盛岡で酒を調達してこないといけないのかぁ…。残念。酒屋があれば湯瀬温泉も完璧なんだけどなぁ。
湯上がりの楽しみがなくなってしまって、ちょっとがっくりしながら温泉へ。ここの温泉は相変わらず熱くて、長い間浸かっていられない。浸かっては出てを繰り返して、1時間ばかり温泉を堪能する。
ビールがないのでコーラでお茶を濁す。
随分とゆっくりとしたつもりだったが、それでも次の列車まで30分ばかりの待ち時間があった。駅の待合室でうろうろしていると、駅からハイキングの地図を見つけた。このハイキングコースが実は今筆者達がたどってきたコースだった。ただ、スタートとゴールが逆で、地図では湯瀬温泉がスタートで八幡平がゴールになっていた。ハイキングの後に温泉に入れるので、筆者らのように湯瀬温泉をゴールにした方が断然よいと思う。JRもまだまだあまいな♪
時間的にはもう一駅ぐらい途中下車できたのだが、すっかり満足した筆者らはそのまま盛岡まで行ってしまうことにした。
車窓を眺めていると、安比(あっぴ)高原にて雪景色と遭遇する。もうこの辺りは冬を迎えようとしているようだ。スキー場も白くなっており、着々とオープンの準備が行われている模様だ。安比高原からは自由落下のようにすごいスピードで下っていく。平地に着くと、雪化粧をした岩木山を右手に見える。ここから盛岡まで、ぐるっと岩木山を回るようなコースになり、晴れた日は岩木山をずっと見られる。平地に高い山がどかんとある姿は富士山を彷彿とさせ、日本一の山に負けず劣らず絶景である。
盛岡についてもまだ14時。
ここで素晴らしい物に遭遇した。はやて試乗受付発見!
しかも今度はちゃんと受付をしている。日に4往復ほど試乗はやてが走っているようで、ちょうど15時盛岡発の受付をしているところだった。八戸までは約30分。八戸まで戻ってしまうことになるが、往復してもなんとか東京に戻れる時間に思えた。乗りたい!上目遣いに阿瀬見を見る
が、阿瀬見は乗る気全くなし(T_T) 「早く帰ろうぜオーラ」を強く感じた…。
確かに今から帰っても東京までは2.5時間かかるため、家に帰るのは19時前後になるだろう。仕事のある阿瀬見が早く帰りたい気持ちもわかる。しかし、はやてに試乗できるチャンスなんて、もう二度とない。開業してからいくらでも乗るチャンスはあるが、試乗という形で乗れるのは今だけなのだ。
それでもさすがに嫌がる阿瀬見をつきあわせるのも悪い。じゃ、ここで解散!オレははやてに乗るぜ!
かなりそう言いたかったのだが、ここは諦めて帰ることにした。諦めること=大人になること、なんだと改めて痛感。大人になんかなりたくなかった(T_T)
なおも後ろ髪を引かれながらお土産とヱビスと駅弁を買う。帰る準備完了…。
お土産には筆者的新発見の「雲丹(うに)プリッツ」を購入。買っても渡す相手もいないわけだが、気になったので買った。後悔するのははやて試乗だけで十分だ。
あと一ヶ月の命だが、新幹線の発駅である盛岡なら並んでいれば自由席に座ることができる。新幹線を一本見送って、次の列車で東京へ向かう。ヱビスで乾杯。旅の打ち上げが始まった。
12月1日にJRのダイヤが大幅に改正される。この改正により、八戸行きの新幹線「はやて」が
華々しくデビューする。そしてその影でひっそりと消えていく列車もたくさんある。季節が秋から冬
へ変わっていくように、時代もまたどうすることもできない時の流れである。
不定な未来と、不変の過去のほんの一瞬の「今」。まさにこの一瞬が過去と未来を作るならば、
おちおちしていられないと思う今日この頃。
後悔しないためにも、今しかできないことをやっておきたい…。
おまけ 何歩あるいたの?
1日目:18546歩=約9km
2日目:23018歩=約11.5km
3日目:14978歩=約7.5km
国鉄色のキハ52。後ろには盛岡色のキハ58x2両。前回乗れなかった国鉄色にようやく乗れた。
(大館駅にて 2002.11.04)
思いがけず出会った急行よねしろ。キハ28+58の往年のコンビ。
(十和田南駅にて 2002.11.04)
後日談
雲丹プリッツはマズかった。一袋だけ食べて、残っている…。