鋼鉄の愛馬と魔法の書が君を四大陸へいざなう。
知らない場所、初めての街、さまざまな出会いが軌道の先にある。
シャレてる暇はない。さあ、出発の時間だ!
第0016号
2002.08.27-08.31

2002.08.27-08.31

・飛び出せ東日本!まだ見ぬキハ達! 〜越美北線・氷見線〜


 火を落として、明日に備えるキハ48。
 山間の終着駅にただよう郷愁と哀愁。そして朝の一番列車になるとすがすがしさへと変わっていく。
 こういう駅って好きだなぁ☆
(猪谷駅にて 2002.08.27)

右→
 海とキハ58。山間部のローカル線をテリトリーとするディーゼル車が海沿いを走ってるところは貴重かもしれない。
 エンジ色だと、ローカルっぽさが増す感じがする。
(越中国分駅にて 2002.08.29)

8/27(火) 菊名〜八王子〜高尾〜小淵沢〜富士見〜塩尻〜名古屋〜岐阜〜中津川〜猪谷

 ああ、夏が終わってしまう!
 久しぶりに30℃を超えていたが、暦の上ではとうに秋であり、これは残暑といわれるものである。日差しは夏のそれだが、吹く風には明らかに秋のさわやかな空気が含まれている。
 9月に行く旅行を企画しながら時刻表を眺めていると、ついつい関係ない路線を見てしまうものだ。そして青春18切符の発売期限の8/31と、使用期限の9/10が迫ってくると、唐突に旅に出たくなった。

思い立ったが吉日!

 さっそく緑の窓口に駆け込み、ムーンライトながらの指定席を注文する。が、今日の夜も明日の夜も席は一杯だった。やはり、平日であろうとも、青春18切符シーズンにムーンライトの席が空いているわけないか…。一瞬消えかけた旅の炎は、しかしあっという間に復活した。始発で行けば何とかなるだろ!
 青春18切符を購入♪
 すぐさま旅の準備を整える。もっとも、旅セットがいつでも用意されているので、準備はパソコンとデジカメの電池充電が主な作業だった。

と、ここまでが前日の話。
自分さえ予想していなかった旅が始まる!

 青春18切符は日本全国のJRで使えるため、フリー切符でいつでもいけるJR東日本圏内に出かけてしまってはあまり意味がない。当然、ここは西を目指すことになる。お気に入りのキハ48や52、28がいるということと、距離の関係から、導き出された目的地は北陸。ここには山に向かって登って行って、結局終点で折り返してくるしかないという路線がいくつもある。城端線は以前一度行っているため、一番の目的は越美北線と七尾線である。で、ついでにキハ48、11、特急型のキハ85が活躍している飛騨ももう一度通っていこうという作戦だ。
 ここまで決めると、岐阜に出ることが決定するため、次は岐阜にどうやっていくかがポイントになる。手段は3つ。ムーンライトながらで一気に岐阜に行く方法、東海道線を乗り継いでいく方法、中央線を乗り継いでいく方法である。
 ムーンライトながらについては席が取れなかった上に、青春18切符シーズンということで、そうとう混雑した車内を体験しないといけないことになる。当然それだけ余計に体力を消耗することになる。このため、この選択肢は切り捨てられることになった。体力の消耗は、今回の旅のもうひとつの試みに対して、大きなダメージを与える可能性があったからだ。
 もうひとつの試みというのは、

めざせ、全行程野宿!

 である。結構そこら中で寝ていると思っていたのだが、日記を見返すと、情けないことに意外とあっさり断念してホテルに泊まってしまったりしている。寒くなった頃に挑んで負けているケースが多いので、今回は気温に負ける可能性は少ないだろう。そして何より、収入がない今、金は使わないに越したことはないという現実もある。
 なら旅に行くなよ、というつっこみが飛んできそうだが、それは違う。
 人間が食べなければ生きていけないのと等しく、筆者は旅をせずには生きていけないのだから。
 話を元に戻して、残り二つのうち、東海道線を使うという手段だが、景色がつまらないということで却下。ひたすら東海道線を乗り継いでいくのは確かに早く岐阜にたどり着ける。しかし、列車に乗っている楽しさがなければ旅の意味がない。この路線は平日は何かと通勤客が多くて旅気分も台無しになるってのもある。
 結局、中央線で行くことに決定した。こちらは下り列車は通勤とはあまり無関係で、景色も良い。いろいろな車両が走っていることも楽しみだ。途中、撮影をすることも心に決めた。

 旅の基本、「始発で出発」は、青春18切符の時は特に大切だ。今回も基本にのっとり、朝一番の5時の横浜線で八王子を目指す。始発だと改札がやっていない菊名駅では押せなかった、切符のハンコを八王子で押してもらう。これで青春18切符に命がともった。
 八王子で、高尾行きを待つ間、貨物区を一生懸命往復するDE10やら、この春から乗り入れているN'EXやら、もしかして写真に撮るのは初めてかもしれない201系などを撮影する。と、ここで、今回の旅最初のトラブル。
 昨日満充電したはずのデジカメの電池が力つきた。しばらく使わないでいるとたまにこういう事がある。ま、3セットあることだし、予想の範囲だ。そう思って交換した電池は、電源すら入らない状態。さらに、最後の1セットも同じ症状。まさかカメラの故障か、と思って普通のアルカリ単三電池で試したら問題なし。うーむ、つまりは充電池がうまく充電されていなかったということである。いきなり充電池を失い、デジカメがいきなり無用の長物になろうとしていた。
 が、このデジカメ、前述のように普通のアルカリ電池でも動作する。そこが売りであり、また、そこが原因で今回の充電池のトラブルが起こったともいえるのだが…。とにかく、アルカリ電池の手持ちを数えると、10本あった。アルカリ電池では本当に使い始めの満タンの時でないと、液晶つけたままの撮影ができないのだが、ばんばん交換していけばいいだけである。なんとか今日一日はだいじょうぶだろう。もっとも、途中で補給する必要があるが。
 最悪の事態だけは避けられたので、予定を変更せずにこのまま旅を続ける。もう青春18切符の命はともされているので、いまさら中止にもできないし。

 高尾で運良く松本行きに接続。信濃色の115系だ。コイツのパンタグラフは新型のシングルアームだったが、すれ違う115系のなかには、まだ昔のままのものもあるようだ。
 まず最初の途中下車は小淵沢駅。ここで朝食とする。
 駅弁としては「元気甲斐」が有名なのだが、こいつは二段積み弁当でとても量が多い。小食の筆者はパス。牧場の牛めしをいただく。あと、もうひとつ有名なのが、素焼きの入れ物に入った緑茶。あのプラスチックの味がするのが、旅っぽくていいんだ! という声もあるのだが、土瓶の緑茶もいいものだ。
 が、朝早すぎてまだお湯が沸いていないとのこと…。いやー、地方はのんびりとしてていいですなぁ。ここで怒っているようでは旅人失格である。
 満腹になったところで、次の列車に乗車。このまま景色を堪能しながら塩尻まで行ってしまうのも能がないので途中下車して中央線の写真撮影を行うことにした。中央線は近くにあるので、あまり撮影したことがなかった。E257系の新型特急車両に押されて、183系がなくなってしまうかもしれないので、いまのうちに撮影しておこうというのもあった。撮影ポイントには、以前会社の人たちと車で来た、富士見の日帰り温泉からの景色がよかったのを記憶しているので、富士見にした。
 駅を降りて、最初に目にはいったのは選挙ポスターの掲示板。何気なく目をやったそこには

鎧兜に身を包んだ「羽柴秀吉」なる人物のポスター!

 え?どっきり?
 選挙って芸名でもよかったはずだから、受け狙いなんだろうか…。ここで選挙についてどうこう論議するつもりはないが、そんなんでいいのか、長野県知事選…。
 いきなり先制パンチを浴びせられたから、というわけではないのだが、車で来たときの記憶があやふやだったので、下車しては見たものの撮影ポイントがわからない。
 中央線は本数が多いので、上り、下りで15分おきぐらいに列車が通る。とりあえず、適当に線路沿いを歩きながら撮影を開始する。結局、記憶にあったような撮影ポイントには巡り会わなかったのだが、1kmぐらい歩いたところで直線で抜けのいいポイントを見つけたので、そこで183系を待つ。
 何という巡り合わせだろう。そこにやってきたのは国鉄色の183系特急あずさ! 誰にかはわからないが、己の幸運を感謝し、カメラのスイッチを入れる。

が、突然の電池切れ!
最高の気分から最低の気分まで0.2秒でまっさかさま!

 うーん、アルカリ電池の影響がこんな重大な瞬間に発生してしまうとは…。やはりこの手の事故には、確実に何かの力が働いているとしか思えない…。大事な瞬間の前には電池を新品に入れ替えておかねばならないと言う教訓だけを得て、再び富士見へ帰る。帰り道でも撮影を行ったのだが、ここではデジカメの起動の遅さにより、新型あずさを取り逃がす。

「撮りてつ」には銀塩カメラが必要!

 というのが、撮影の教訓である。
 9月の旅には銀塩カメラを持っていくことを決意した。さすがに新品を買う金はないが、フレームは足で稼ぐのがカメラの基本だ。三脚は気合い入れてカメラを構えれば、昼間はいらないだろう。列車撮影はもともとシャッタースピード速いのだ。
 ちょっと満足とは言えないが、幸いここは軽く日帰りで来られる場所のため、リベンジを誓って塩尻へ向かう。再び信濃色115系。
 塩尻からは中央本線とか、中央西線と呼ばれる路線に変わり、名古屋へと通じるわけだが、ここからはJR東海の領域。いよいよ青春18切符の力が発揮される。
 以前は青とクリーム色に塗られた115系が走っていたはずなのだが、いつの間にか全ての車両が新型のアルミ車、313系に置き換えられてしまったようで、すれ違う列車にも旧型は見られなかった。車両としては被写体としてそそられない…。
 ただ、景色は思ったよりも良く、結構田舎を走っているということが判明した。電車なので当然高架があり、複線でもあるため、筆者の趣味とはやはり異なるのだが…。
 それでもどこかで途中下車しようと思って時刻表を眺めていたが、中津川までで途中下車してしまうと、名古屋到着が2時間遅れてしまう事が判明した。途中下車するにしても、中津川よりも先だなぁ。
 中津川で名古屋行きに乗り換え、途中下車したのは恵那という駅。特に強い理由はなかったのだが、ここから明智線という私鉄が山の中に伸びていた。もしかしたらものすごいレトロな車両が見られるかもしれない。しかもここなら時間的ロスも少ない。
 が、明智線の時刻表を見ると、さすがにローカルなようで本数が少ない。中央線を2本見送って、明智線の登場を待つことにした。
 明智線は電化されていないため、やってきたのはディーゼル車。特にレトロな車両でもなく、外見からはJRのキハ11型と思われた。しかし、車体には「アケチ11」と書かれていた。これが通し番号なのか、キハ11の11を取ったものかは不明だったが、恐らく前者であろう。いくらローカルでも、この車両だけで運営できるわけがないので、後者だとおかしい。もっとも、すべての車両が異なる車両だった場合、後者もアリなのだが、メンテや運転手の都合から、種類がそんなにあるわけもない。
 なお、明智線の列車が来る前に、中央線にセントラルライナーなる列車が来たのだが、これは普通列車とは塗装の違う313系だった。わざわざ塗装だけ違うというのもダイヤを組むときに不便なわけで、内装とかが微妙に違うのかもしれない。明智線を見ていたので、残念ながらセントラルライナーには乗れずに、内装は確認できなかった。

 景色もすっかり街のものになってきてつまらないため、名古屋まで一眠り。
 名古屋に着いたら、まずは電池調達である。大量に必要なので、コンビニなどでは買いたくない。ビックカメラのような20本で1300円ぐらいで売っているところがよい。が、名古屋はとても大きな街であり、電池を探すと行ってもそう簡単にはいかない。ちょっとさまよったところで、交番を見つけ、カメラ屋がないか聞いてみる。カメラ屋では小さい店でも、電池の安売りをしているものだ。と、意外にも近くにカメラ屋があるという。説明された通りに地下街に入ってすぐのところに、カメラ屋があり、都合のいいことにディスカウント系のお店だった。電池は20本1000円。横浜より安かったりする。さすが、西日本♪ 充電池が充電できずにこの旅の間使えないという最悪の条件を考慮に入れて仕入れる。荷物は重くなったが、デジカメの電源はもう心配いらないだろう。依然として取り替えるタイミングに気をつけなければならないが、使えないよりはずっといい。
 ところで、道を教えてくれたお巡りさん。情報はかなり精度の良いものだったが、いかんせん愛想がない。おかげで、「名古屋のおまわりさんは無愛想」という

いらぬ先入観を植え付けられてしまったではないか…

 せっかく名古屋に来たので、駅のホームできしめんをいただく。全てのホームの東京よりのところに、立ち食いきしめん屋がならんでいるのは、ある意味名物だと思っている。麺はちと柔らかめでいまいちなのだが、汁は鰹だしがきいていて筆者好みだ。これを食べると名古屋に来たという実感が…。
 このあたりも車両の入れ替えが進んでいるらしく、古い車両は見かけなかった。313系と211系。サラリーマンが多い列車で岐阜へ。
 岐阜からは高山本線へ乗り継ぐ。いよいよディーゼルカーだ♪ 先頭キハ48後ろもキハ48〜などと心の中でスキップしながらボックスシートへ。

うう、これで窓が開けば最高なんだが…

 残念ながら高山本線は冷房化されていて窓が開かない。ただ、扇風機もついており、壁のスイッチでON/OFFできる。周りの人の迷惑にならない程度にスイッチを入れて遊んでみるのもよい(笑)
 のんびりとした風景を眺めながら、どこで途中下車しようかと時刻表をめくる。と、ものすごい事を発見!

岐阜発18時台のこの列車が猪谷行き最終列車だった!

 たまたま乗った列車がこれだ。我ながら非常についている。これより後の列車では高山までしか行けないのだ。
 特に目的地がある旅ではないのだが、翌日に北陸へ出ようという時に、高山からではロスが大きい。
 改めて時刻表を見てみて、この高山本線がとんでもなく長い路線だと言うことに気づく。

なんと、この時間に乗って、終点につくのは23時!

 恐るべし、高山本線…。
 時刻表で見ると営業キロ225.8km。普通列車で5時間もの道のりだある。
 というわけで、残念ながら途中下車はできないわけだが、とりあえず猪谷まで行くことができる。猪谷は翌日の始発の発駅であるため、時間のロスは最も少ない。
 日が暮れてしまって車窓は見えない。パソコンで旅日記を書こうと思ったが、バッテリーを使いきってしまうと、もし終点で電源を確保できなかった場合、デジカメのデータをノートPCに吸い出すことができなくなるため、むやみにPCを使うわけにも行かない。こうなると、できることと言えば、寒くて野宿できなかった場合に備えて、今の内に寝ておくことだけだ。

 高山駅で、筆者以外の乗客は全員降りてしまった。なんかちょっと不安になるが、時刻表を見るとここで30分以上停車になっていた。そういうことかと納得し、ゴミを捨てたり、トイレに行ったり、荷物を再構築したりする。
 この時点で、岐阜からの運賃が2500円に達しており、この区間だけでも青春18切符の元を取っていたりする。相変わらず、この切符の元取り具合はすさまじいものがある。
 恐らく何もないであろう、終点の猪谷に向けて、列車が発車する。最終列車ということで、駆け込んでくる乗客をすべて収容してから、少し遅れての出発。最終列車の風景はいずこも同じである。
 その乗客達も終点が近づくに連れ、ぽつぽつと降りて行き、結局終点まで乗っていたのは筆者と運転手だけ。車掌さんはひとつだかふたつ手前の駅で降りてしまった。
 もうすぐ終点の猪谷駅。降りる準備をしていると

突然の車両停止…

 おーい…。
 どうやら信号機停止のようだ。即座に頭の中にリカバリー案がぐるぐると回る。もう少しのはずだから歩いて行けば大丈夫か…。でも、下ろしてくれない可能性も…。あ、それなら野宿しなくて済むかな(笑)
 それにしても、イベントに事欠かないなぁ、筆者の旅は。ワンマン車両で、運転席と客席は空間的に仕切られていないため、無線でのやりとりが聞こえてくる。どうやらたいしたことではないようだ。
 どうなることかとちょっとドキドキしたが、5分ほどで列車は発車した。
 終点の猪谷は、ここから私鉄が一本山の中に別れている、一応ターミナル駅だけのことはあって、そこそこの街だった。個人的な雰囲気としては森宮野原駅に通じるものがある。上り下りの最終列車が次の日の始発になるべくホームで眠りにつき、運転手達は当直室がある駅舎に泊まるという形である。
 運転手さんは「原則的に泊まったりしちゃいけないんだけど…」といいつつ、駅舎に泊まることを容認してくれたのだが、それで何かあったときに運転手さんに責任がかかるのは悪いので駅の外へでた。駅の中にコンセントがなく、しかもちょっと蒸し暑かったからと言うのも理由ではあるが…。
 心配していた寒さもさすがにだいじょうぶらしく、夜風が心地よい。少々設置されている街灯が少し邪魔をするが、それでも星空は十分綺麗だ。駅から歩いてすぐの木曽川にかかる橋の上からは、山と川、半月と星空という幻想的な風景を見ることができた。

デジカメにこれを撮影する能力がないのが残念だ…

 人間は、脳という高性能な画像処理コンピュータを持っているため、輝度の差をうまい具合に表現して明るすぎるものや暗すぎるものに対して、自動的にフィルタ処理を行う。これがカメラだとできないのだ。
 だから、こういうのが見たかったら、自分の目で見に行くしかない。そして心に刻むしかないのだ。20分ほど夜風に当たりながら堪能する。これだけでもここに来た価値はあるというものだ☆

 工事現場に黄色いライトが回っているのを見て、コンセントの存在を確信。かくしてそこに電源を確保…。
 近くだと回転灯がまぶしいため、少し離れたところに陣取る。ノートPCのバッテリーがなくなるまで旅日記を書いて、寝袋を広げて就寝。枕はもちろん時刻表。ただし、睡眠学習効果はないらしい。


 「始発に乗れ」は旅の鉄則である。
 横浜線八王子行きの始発列車。205系。
 ハイカー、釣り人、午前様。意外と人が乗っている。
(菊名にて 2002.08.27)

 新型あずさE257系を夏のひまわりと秋のコスモスが同居する花壇越しに見る。町中では浮き気味のこのカラーリングも、花と一緒だとなかなかいい感じ☆
 デジカメの起動が間に合わず、おしりの撮影になってしまった…。やっぱ、銀塩カメラが向いてるなぁ。
(富士見駅近くにて 2002.08.27)


8/28(火) 猪谷〜富山〜高岡〜金沢〜芦原温泉〜芦原湯町〜福井〜九頭竜湖

 朝5時、セットしたアラームが鳴る直前に起床。
 思ったよりも熟睡できた。途中、3時半頃車が来てごそごそしていたので目が覚めたが、それ以外はほとんど寝ていたようだ。3時間以上の睡眠はとれたようだ。頭も体もとりあえずすっきりしているので、最低限のリフレッシュはできていると思われる。
 駅の待合室に行ったら新聞が山と積まれていた。昨日の夜中の物音の正体はこれだったらしい。
 さっさと身支度を整えて、写真撮影を始める。
 この、日が昇りきる前のわずかな時間が写真撮影には絶好の時間帯なのだ。
 今日は昨日以上に快晴。晴れすぎて露出オーバーになってしまうほどの晴れだ。晴れすぎるのも本当は困るのだが、雨よりは全然ましなので、文句を言わないようにしている。
 ほぼ同時間に運転手さんらも起きて列車に火を灯す。キハ48は昨日、岐阜からここまで来たわけだが、無給油でまた引き返すことになる。航続距離ってどのぐらいなんだろうか?
 山間部の心地よい朝の撮影をしていると、昨日乗ってきたキハ48が、始発よりも早い時間に出発していった。あれだけ長い路線である。途中からの始発列車になるために、出かけていったようだ。どうやら、始発はもう一編成のキハ48の四両編成の方のようだ。
 猪谷駅はJR東海とJR西日本の境の駅で、ここから富山方面はJR西日本の管轄になる。だからなのか、富山方面の車両はキハ120だった。運転台についているサイドミラーがお茶目なステンレス車両だ。東日本にはないが、西日本ではよく見かける車両だ。逆に西日本ではキハ110系の気動車を見かけない。各社の方針の問題なのだろうか?
 昨日の運転手さんがホームにいて「よく眠れたか?」と声をかけてくれた。ぐっすり眠れたと答えると、それは何よりだと喜んでくれた。やっぱりローカル線だとみんなのんびりしてていいねぇ☆ 

ふぅ、早起きはエライわ…

 運転手さんの言葉を聞いて、ああ、西に来たんだなぁ、と認識する。ここのエライというのは大変という意味のエライである。決して筆者をほめているわけではない。
 こちらのキハ120系が出る前に、キハ48系の始発列車が発車する。昨日の運転手さんは今回は車掌を努めるらしく、出発の合図を出して列車がすべりだす。と、車掌さんがこちらに向かって手を挙げている。最初は見たことない合図だなぁと思ったのだが… 

まさか筆者に手を振ってくれてる!

 あちらはちょうど列車の発車後、ホームと列車との間に問題がないことを確認する合図を出した直後だ。めちゃめちゃ仕事中なのに!
 こちらはもうすぐ出発するキハ120にすでに乗車して、キハ48の出発を見ていたので、まさかこちらに手を挙げているとは予想しなかったのだ。深く礼をして答える。いやぁ、びっくりした♪
 ほどなくして、富山行きの始発列車、キハ120も朝日を浴びて出発。窓から駅舎が見えなくなるまで眺めていた。

猪谷駅は深く記憶に刻み込まれた♪

 富山から、高岡行きの列車に乗り継ぎ。こちらは電車で455系。この電車も日本海側でしか見かけない、普通の電車よりもひとまわり大きな車体が特徴だ。
 高岡駅は城端線、氷見線がでていて賑やかだ。トワイライトエクスプレスがやってきたので撮影する。東北方面に行ったときに何度か出会っているのだが、あちらで見るときはいつも夜なので、ちゃんと撮影できたのは初めてだ。中ものぞいてみたが、やっぱり高級っぽい内装だった。朝食が終わったばかりのレストランはとても列車の中とは思えない…。筆者の舌には合わない料理が出てきそうだ。
 今日は乗る予定はないのだが、キハが活躍している城端線と氷見線のホームを見に行く。どちらもキハ47を中心に運用していて、新車両は見あたらない。車両の置き換えはまだ始まっていないようだ。ほっと胸をなで下ろす。しかし、城端線は以前来たときとは色が変わっていた。白地にブルーのラインだったものが、えんじ色に白のラインに変わっている。なにやら電気機関車を思わせるような色で、キハでこの色っていうのは初めて見た。急行車両のキハ58・28コンビも健在のようで、こちらも同じえんじに白になっていた。以前は何編成か国鉄色のものが走っていたのだが、これが今どうなっているかはわからなかった。少なくとも、1時間ばかりの間には姿を見せなかったので、なくなってしまった可能性もある。
 朝御飯はコンビニで調達。こちらの名物はます寿司なのだが、とにかくでかくてひとりではとても食いきれない。が、その超小型版がおにぎりとしてコンビニに売っていた。このサイズなら大歓迎である。コンビニもなかなか侮れない。あと、高岡の駅にはなんとマックがある。割とハイカラな街なのかもしれない。
 ひととおり車両の撮影が終わったところで金沢へ向かう。七尾線に乗るためだ。
 平日に旅をしているとラッシュに合って興ざめしてしまうことがよくあるが、この撮影の間に通勤、通学ラッシュをやり過ごしたので、列車は空いている。
 金沢に着くと、ホームに国鉄色の特急加越を見つけた。山陰本線にはまだまだ国鉄色の485系が多い。それ以外の塗装のものは特急しらさぎとおはようエクスプレスぐらいなのではないだろうか。しらさぎとおはようエクスプレスは紺色と白の塗装で、なんとなく昔懐かしいカラーリングだ。黄色のラインがひとつ入っているところが現代風で、なかなかカッコイイ。
 サンダーバードやらはくたかやらが出入りしまくっていて、さすがに撮影が追いつかない。そもそも金沢駅は全天候型、要するに屋根がついていて、光量が足りずにあまりきれいに撮影できない。せっかく外が晴れているのだから太陽の光を取り入れる工夫というものがあってもいいような気がする。この屋根のせいで北国は暗いというイメージがつきまとっているような気がするのは筆者だけだろうか。
 と、向こうのホームで国鉄色の特急っぽい車両が動き出していた。ま、国鉄色のはいっぱい撮ったからいいか。などと見送っていると、その先頭車両の形状が明らかに485系ではない! 

うわぁっ、ボンネット車両じゃんか!

 気づいたときにはもう手遅れ。かろうじてシャッターを切った結果は、逆光で見事にシルエットのみ…。行き先表示は「臨時」…。うー、そんなのチェックしてないよ〜。ちょっと後悔する。
 これはこれでショックではあったが、実はもっとショックなことが起きていた。
 七尾行きの列車が汽車ではなく電車だったのだ。

七尾線って電化されてるのか!

 いや、確かに調べてなかった。当然汽車だと思いこんでいたのだ。
 電車だとわかった瞬間、七尾線に乗る気は失せていた。

電車に用はない!

 ちなみに車両は415系。色は七尾線独特の、ラベンダー色やらワインレッドやらのカラフルなものだ。
 七尾線に行かないとなると、今日の予定はもう完全に破綻した。もともとしっかりした予定を組んでいたわけではないので、ガラガラという音まではしなかったが…。とにかく、今後どうするかを決めないといけない。高岡に戻って氷見線か城端線に行くか、このまま西進して越美北線に行くかである。
 本気で悩んだが、やはり戻るのは何となく嫌だということで、西進することにした。今から直行しても到着するのが昼過ぎになってしまうので、越美北線を途中下車しながら楽しむことはできないが、とりあえず全線乗ってみて、良さそうな駅の目星をつけておいて、翌日にまわせばいいという考えだった。こう言うときこそ行き当たりばったりにしておくのが吉である♪
 1時間ほど待って、福井行きの列車に乗る。時刻表を見ると福井までの間に温泉と名の付く駅が二つある。加賀温泉駅と芦原温泉駅である。どっちかで温泉に入ることが、その時点で決定された。
 まず加賀温泉駅に到着。窓から見た街の風景が、温泉街っぽくなく、ここには温泉宿が見あたらないとわかる。ここは降りずに、次の芦原温泉に向かう。
 こちらは加賀温泉ほど近代的な感じではなかったが、やはり駅前に温泉宿が見あたらない。が、とりあえず降りてみる。越美北線に入ると温泉は期待できない。ここらで温泉に入っておかないと、しばらく風呂に入れなくなってしまう。もう温泉は最優先事項にのし上がっていた。
 駅の改札を出て観光地図を見ると、バスで10分ほど行ったところに温泉街があるらしい。ちょうどバスが来たので迷わず乗る。290円。さすが地方のバスは高い…。しかし、地方のバスは、10分にしてはかなりの距離を走る。距離的には妥当なのかもしれない…。都会でバスで10分だと歩こうと思う距離だが、軽く4kmぐらいあっただろうか。芦原湯町に到着。さすがに温泉宿だらけだ。
 この芦原湯町には私鉄が通っていて、東尋坊の方から福井駅までを結んでいるようだ。帰りはこの私鉄で福井に向かえばよい。いきあたりばったりの割にはいい感じである。
 その私鉄の駅前で、やたら大音量で芦原湯町音頭っぽい曲を無限リピートしている案内所で、日帰り入浴でいい場所はないかと訊ねると、「セントピアあわら」なる公共浴場を教えてくれた。 

あ〜、今バスで通り過ぎてきたとこだよ、それ…

 まあ、200mもないけど。なんかちょっと損した気分になりつつも、行く。最近温泉街でよく見かける、近代的な建物の公衆浴場だった。料金は500円。これでちょっとしたロッカーもついているのだから銭湯よりは割安感がある。
 広い浴場は4つに仕切られていて、打たせ湯、ジェット風呂、寝湯、普通になっている。残念ながら露天風呂はなかったが、おもしろいサウナがあった。「かま湯」と書いてあって、最初は五右衛門風呂みたいなものでもあるのかと思いきや、それがサウナだった。サウナルームそのものがまるで焼き物を焼く窯のようになっているため、かま湯なのだろう。変わっているのはござが敷いてあって、寝られるようになっているところだった。
 今横になったらばたんきゅう〜で熟睡できる自信があったので、横にはならなかった。昔、サウナで爆睡して死にかけたことがあるのだ…。
 ただ足を投げ出して座っているだけでも、足から疲れが引いていくのがわかる。最近全然歩いてなかったところに、急に歩かせたものだから、すっかり疲れが溜まってしまっている。ま〜、運動不足なだけだが…。
 時間を気にせず、思いっきり温泉を堪能する。さっぱりしたが、かなり疲れた…。なんかちょっとフラフラする。湯あたりしたか…。
 駅に戻る。さて、この私鉄は、一体どんな車両を使っているのかなぁ。興味の持ち方がすっかり「てつ」と化してしまっている自分に気づいたが、否定してもしょうがない。なってみると、「てつ」もなかなかおもしろいものだ。
 列車の時間を調べようとしたとき、改札のところに大きな看板が立っていた…

正面衝突事故により、中部運輸局より全線運休の指示

 なんですとー! さすが筆者。なかなかイベントなしには事が運んでいかない…。旅にトラブルはつき物だが、筆者の場合は、普通の人より多いと思う…。ま、それを楽しめるようでないと真の旅人とは言えないね(笑)
 一応代行バスが走っているらしい。ダイヤも列車と同様にするように善処しているらしいので、事実上問題はない。で、値段を聞くと700いくら…。あー、バスだから高いのか、とも思ったが、普通代行バスって列車と同じ値段のはず。いまいち距離感がわからないが、福井からそんなに遠いのか? それともこの私鉄が高いだけなのか…。
 700円払うぐらいなら、290円でJR芦原温泉駅に戻り、そこから北陸本線を使った方がいい。時刻表を調べると、どんぴしゃで福井まで、そして越美北線に接続する。ちょっと話のタネに代行バスにも乗ってみようかとも思ったが、その好奇心は400円以下の価値と判断された模様。
 バスを待っている間、こちらの女子高生がなんか新鮮に見える。原因を考えてみたところ、どうも足下に違いがあるという結論に達した。たしかにルーズをはいているのが多いのだが、ルーズソックスにキティの健康サンダルとか(笑) あと、新鮮だったのが、靴下をはかずに革靴をはいているのがいる。首都圏だとあまり個性がないのだが、こちらは足元以外でもかなりラフにアレンジされていておもしろい。なんか、花より実という感じで、自然体なところが好感が持てる。男子の方も同じ傾向だが、こちらはどっちかっていうとだらしないというべきか…。どちらにしても地方の学生は変にひねてなくていい。

駅の喫煙コーナーに制服姿の学生がいないのだ!

 それが普通なのだが、横浜は普通ではないのだ。誰も注意しないし。もちろん、筆者も注意しない。注意すると殴られる世の中、注意しないことを誰が責められるだろうか。
 やっぱ、子供は都会で育てちゃダメだ。
 さて、バスが来た。バスは少し遅れていたが、もくろみ通り越美北線に接続した。

 越美北線はちゃんと非電化で、キハ120が任に就いていた。実はここも調べてなくて、電車だったらどうしようかと密かに心配していたりしたのだが…。キハ48系でなかったのは、ちょびっと残念だったが、電車じゃないのでとりあえずOKだ♪
 キハ120はステンレスボディーなので、全面塗装を行わない。したがって、キハ48などのように個性豊かに色分けしにくい。しかし、越美北線のキハ120の塗装は凝ったものだった。
 使っている色自体はヨモギ色ただ一色なのだが、グラデーションのかかった四角をいくつも重ねて帯を構成している。そして何に由来するものかは不明だが、水仙の花が描かれている。

鉄道模型を作っている人は泣くな…

 まず最初にそう思ってしまって、ちょっとやな感じだった…。
 越美北線は大きく分けて二つのエリアがある。福井−越前大野と越前大野−九頭竜湖である。後者は本数が半分になる。
 この列車も越前大野行きで、そのあと九頭竜湖行きは2時間待ちとなる予定だ。
 九頭竜湖駅の近くにはダムがあり、当然全線が山岳地帯を行くものだと思っていたのだが、越前大野までは山らしいところはなく、古い日本の田園風景の中を走っていた。これはこれでいいかもしれないが、正直越前大野までの区間では途中下車したい駅はなかった。
 終点の越前大野駅はきれいな駅だった。駅舎が新しいという意味ではない。地元の人の善意なのだろう。たくさんの花と、檜のテーブルや椅子、夏だという事ですだれなども下げられており、おもわず嬉しくなって、笑顔になる。歓迎されて嬉しくないわけがない。昨日の猪谷駅とはまた違ったよさがある。
 次の列車まで時間があるので、駅の外に出てみると、「越前大野城 1.5km」という案内板を見つけた。往復できる距離である。荷物が多くてしんどかったが、すぐに城が見えてきて、そんな重さはすぐに忘れてしまった。
 二の丸が残っていて、天守閣一帯が公園になっている。天守台の石垣は割としっかり残っており、天守閣は鉄筋コンクリートの復元である。天守閣入場料は100円と、お値段も良心的で好感が持てる。小さいながらも、きちんと2層3階になっていて、中の展示も100円にしてはよかった。天守の上からの景色は、田園が広がっていて、当時を偲ぶことができる。
 山城だったため、ちょっとした登山を体験し、すっかり汗だく。昨日よりも蒸し暑く、汗が乾かない。せっかく温泉に入ったのに、さっぱり感はまったく残っていなかった…。
 城からもどって、駅の正面の昼は定食屋、夜は居酒屋になるらしい店でカツ丼を食べる。注文したとき、「卵とじ」か「ソース」かと聞かれて、反射的に卵とじと答えてしまったのだが、ソースのカツ丼って、やっぱ、ただソースがかかっているだけなのだろうか? 夏ばて気味の胃にはカツ丼はちと重かったか。最後は食べるのが大変だった。量が多かったわけではないのだが…。
 これ以上食べられないという状態で、越前大野駅を後にする。九頭竜湖方面に乗る客は十人程度。思ったよりも多いが、おそらく赤字だろう…。
 越前大野より先も田園だったが、雰囲気のある駅が多い。日本の古い景色。途中下車するなら越前大野−九頭竜湖間なのだろう。

一度降りると4時間待ち! 覚悟して降りろ!

 ほんと、降りたい気持ち半分、こんな何もない山の中で4時間は勘弁…という気持ち半分である。
 勝原(かどはら)を超えると長いトンネルがあり、一気に山の中へ。トンネルで窓が曇る現象。下田はトンネル間の駅でおもしろそうだ。
 終着の九頭竜湖もトンネルを抜けた先。こちらは観光地化されていて、道の駅と併設されているためもあって、にぎやかだ。ただし、駅舎は越前大野駅のように檜のぬくもりのある、なかなかよい感じ。
 とりあえず、今日はこの九頭竜湖駅で夜を明かすことにした。ここなら、コンセントも確保できそうだ。最悪、トイレのウォッシュレットの電源を失敬しよう…。
 最終ひとつ前の列車で来たのだが、時間があるので、ちょっと途中下車でもしに行こう。折り返す列車で二つ隣の勝原(かどはら)駅へ。来る時、少し大きな待合室が見えたので、一休みするにはいいだろう。
 待合室で旅日記をつけ始めると、いきなり明かりが消える。一体何事!
 明かりが消えると、真っ暗で何も見えない。目が暗さに追従できていないのだ。なにかと明るい都会ではこんなこともないのだろうが、ここは待合室の他には明かりといった明かりがない。すぐそこに国道っぽい道があるのだが、通る車は全くない。どういうわけか自販機も明かりを消している。一応販売はしているようで、紅茶花伝を買ったら賞味期限ぎりぎりのが出てきた…。
 こんな事もあろうかと、いつもカバンに入れている自転車用の明るいライトを取り出す。ライトを手に、配電盤を見に行くが、特に煙が出ていたりはしない。事故ではないようだ。
 諦めて待合室に戻る。旅日記の続きを書こうと思ったがやめた。真っ暗な中でノートPCを広げていると、暗闇にぼうっと浮かび上がる人影になってしまって、はたから見るとかなり恐くなってしまう(^^;
 となれば寝るのみ。暗い方が眠れるだろう。
 少し寝たところで、いきなり電気が点く。一体どうなってるんだ? 列車が来る時間ではない。一体何をトリガーにして電気が消えたり点いたりするのだろうか。

もしかして幽霊駅舎…

 その後も2回ぐらい点いたり消えたり。もう気にもせずに熟睡。仕掛けておいたタイマーで列車の来る5分前に起床。このときには明かりがついていた。
 最終列車で再び九頭竜湖へ。最終列車といってもまだ2030である。
 とりあえず野宿ポイントを探す。寝るには便利なベンチのところには街灯があって、ちょっと目立つ。コンセントは道の駅に見つけた。が、寝るには最適とは言えない。
 駅の裏に回り、そこにひっそりとした公園を見つけた。ベンチもある。コンセントはなかったが、寝るには良さそうな場所だ。すっかり日が暮れているものの、まだ人間の活動時間である。うろうろしていると、地元の人たちに不審がられそうだ。ちょっと早いが、さっさと寝てしまうに限る。
 そう思って準備を始めたとき、隣の家の犬がものすごい剣幕で吠え始めた。どうやら筆者に向かって吠えているらしく、吠えやむ気配がない。地元の民に怪しまれてはたまらない。

犬の前に這々の体で敗走…(^^;

 いやぁ、都会の犬と違って、ちゃんと知らない人を吠えるんだなぁ。番犬としては優秀だが、筆者にはいい迷惑である。
 結局、道の駅のコンセントに陣取る。
 今日はおぼろ月夜。やはり湿度が高い。
 疲れているので速く寝ようと思ったが、コンセントにより無限の電力を得てしまったため、結局24時就寝。


 夜明けのキハ120型。富山行きの始発列車。
 今日もいい天気間違いなし!
 こちらの顔は赤だが、反対側は緑に塗られている。さすがJR西日本。保守的なJR東海と違ってカラーリングも先進的。
(猪谷駅にて 2002.08.28)

 夕闇の越美北線キハ120型。塗装は、単色だがグラデーションを取り入れている。車体横には、一両ごとに異なる花が描かれている。
 一両だけだと、いかにもローカルって感じでよい☆
 駅も広告看板が古風。
(九頭竜湖駅にて 2002.08.28)

8/29(木) 九頭竜湖〜福井〜金沢〜高岡〜氷見〜雨晴〜越中国分〜福井〜富山

 朝5時。アラームでたたき起こされる。
 昨日寝付いてから一度も目を覚ますこともなく爆睡していたようだ。野宿でこんなに熟睡したのは初めてかもしれない。レベルが上がってるのか?
 今日も思いっきり晴れ。旅に出てからどんどん暑くなっていくようだ…。
 九頭竜湖駅は夜の間列車がいない状態になっている。越前大野からの始発列車が来て、折り返して九頭竜湖からの始発になる。
 始発列車が来る前に、身支度を済ませる。駐車場で泊まっていたボンゴフレンディのおっちゃんも起きたようだ。
 歯を磨いていると、おっちゃんが駅を開きに来た。開けるのはおっちゃん、締めるのがおばちゃんと子供という具合に分担しているのかもしれない。
 越前大野からの始発列車がトンネルを抜けてくるところを撮影するため、駅から数百メートル先まで出かけていく。
 昨日は暗くて、しかも犬が吠えるので行かなかったのだが、笛博物館なるところの入り口にSLが静態保存されていた。型番から国鉄のものでないことは確かだが、由来を示すような看板は一切なく、なんなのかはわからなかった。

それにしても、昨日の犬、朝は吠えないでやんの…

 頭がいいのか、それとも低血圧なだけなのか…。からかうとまた吠えられそうだったので、知らんぷりして通り過ぎる。
 が、ふと時刻表を開いて確認する。 

7分で折り返しだから、撮影したら乗れないじゃん!

 もうトンネル近くまで来てしまっていた。もっと速く気づけば良かった。朝から体力を無駄遣いしてしまったではないか。
 始発列車が来る頃には、朝日が山の東斜面を照らしていた。その中をやってくるキハはカッコイイ♪ 2両編成で、そのうち一方は車体に描いてある花が「みやまつつじ」だった。あとで増結された一両は「こぶし」だったので、おそらく一両ごとに違うのだろう。

やっぱり、デカールで対応だね

 越美北線は本数が少なすぎるし、その少ない本数を待ってでも撮影したいわけでもなかったので、一気に福井まで抜けてしまう。途中、越前大野駅で3両に増結され、通勤・通学列車となって福井へとひた走る。一駅ごとに人が増えていって、最後にはかなり混雑していた。時刻表を見てみると、これの次は10時台になってしまうので、通勤・通学にはこの一本をみんなが狙ってくるのだ。ローカル線ではよくあることだ。しかし、九頭竜湖の始発が通勤・通学列車というのもすごい…。
 混雑しているので、相席になったサラリーマン風の人曰く、「来週からは混みますねぇ」。そうか、もう夏休みが終わるもんなぁ。学生の数はこの数倍にもなるだろうから、田舎といえども通勤ラッシュはひどいんだろう。
 もうちょっと本数があれば、田園風景の中を走るキハ120とか撮って見たいんだけどなぁ。
 少し残念ではあるが、越美北線を後にして、北陸本線を北上する。
 ここで、乗った419系(?)は415系よりも2周りほど大きな車両で、前から気になっていた。広い通路、足を伸ばせるほど広いボックス席。特急か何かの改造車両であろうことは間違いない。観察しているうち、荷物棚の上のスペースに折り畳みのロフトのようなものを見つけた。現在は壁に折り畳まれたまま、留め金で固定されているが、昔はばたんと倒してベッドのようになったのではないだろうか。筆者は見たことがないが、普通車に寝台がついている列車がかつてはあったと聞く。これがそうなのかもしれない。
 降りた後で列車の製造年月日を確認すると、昭和43〜45年で、古いだろうとは思っていたが、筆者よりも年上だとは思わなかった。がんばってるなぁ。
 で、改造は昭和60年。このときの改造で普通近郊列車として生まれ変わったのだろう。旧式なだけに運用コストもかかるだろうから、そのうち知らないうちになくなってしまうことだろう。次、北陸に来たときにはもうないかもしれないなぁ…。
 高岡駅に到着。気になっていたマックで昼飯とする。腹が減っていたいので、とりあえず飛び込んだのだが、食っていたら氷見線を一本逃してしまった。軽く1時間待ち。

時刻表持ってるのに、見ないで行動するとこうなる…

 氷見線だから1時間で済んでいるのだが、とにかくローカル線では列車の時刻に会わせて行動することを忘れてはいけない。めずらしく食欲に負けたてしまった…。
 しかしこの1時間も、まったく無駄な時間ではなかった。昨日、氷見線ホームで見かけた、ひとつだけ色の違う車両が車庫から出てきて城端線のホーム近くへやってきていた。早速に見入ってみると、キハ52だった。この車両は上部の2連ライトですぐに見分けがつく。白地にライトグリーンが袈裟がけに引かれている。一体どこから来たのだろうか。残念ながら再び車庫に戻ってしまった。
 氷見線はキハ58と28のコンビだ。どちらも車両前面の形状は似ていて筆者には区別が付かない。この後も他の車両を見かけなかったため、全てがこのコンビネーションで運用されていると思われる。
 キハ28のエンジン音がやけにでかいことから、こちらの車両に発電機がついているのではないかと思われる。キハ58の方は扇風機とクーラー、キハ28の方はクーラーだった。
 高岡−氷見間は約30分。単純に折り返し運転をしているだけなのだが、路線が短いために本数は1時間に一本程度を確保している。
 とりあえずおもしろそうな駅に目星をつけつつ、終点の氷見まで行ってみることにする。
 しばらく民家の隙間を走った後、工業地帯を抜け、海に出る。越中国分から島尾まで、海沿いを走るのだが、ここの景色はすばらしい。実はあまり期待していなかったのだが、この景色を見て考えを改めた。
 終点の氷見まで制覇し、折り返して雨晴(あめはらし)駅で下車。ここから越中国分まで歩きながら撮影を行う。この駅間は2kmとたいしたことはないのだが、何しろこの日差しである。油断すると倒れそうだ。
 青い空と青い海。列車は約30分おきに上りと下りが交互にやってくる。今乗ってきたのが上りなので、次は下り列車が来る。それまでに撮影ポイントを見つけないといけない。海を強調したかったので、小さな島というか岩というか、それを背景に撮影することにした。炎天下で待っていると危険なので、都合良く近くにある休憩所で列車を待つ。踏切がない場所での撮影は、列車の接近を知るのが難しい。前述のように、デジカメの起動時間があるために、列車が見えてから電源を入れても間に合わない場合がある。今回も見通しの悪い場所であるため、結構危険である。
 が、そこへ作業員の人たちがやってきた。草刈りだろうか? 線路際でなにやら作業を始めた。撮影ポイントよりも先に列車の接近を知ることができる場所である。これは利用できるかもしれない。
 いよいよ時間だ。作業員の動向を注意深く観察していると、作業員たちが手を止めた。 

センサーに反応あり!

 迷うことなくデジカメのスイッチを入れる。デジカメの起動後、列車が現れる。素晴らしいタイミングだ!
 撮影もバッチリ♪ 意気揚々と次の撮影ポイントへ。
 今度は今撮影した列車が、氷見で折り返して戻ってくる。上り列車になる。光の向きから、この場所では撮影に向かない。線路沿いに歩きながら、いい場所を探す。
 もっとも海に面している場所で撮影したかったのだが、ここはどうも撮影しにくかった。ここはいまいちだなぁ、という場所しかなかったのだが、とりあえず列車が来る時間までに次を探すのは難しそうだ。列車が来る前にテスト撮影してみよう。と、デジカメを起動した瞬間、列車の音が!

なんで!? あと10分あるじゃんか!

 またもや見通しの悪い場所に陣取っていたのだが、起動したカメラの前に突然列車が姿を現す。反射的に撮影を行い、うまい具合にフレームに収めた。
 どうして10分早く列車が来たのか、確認してみたら時刻表の読み間違い。いやー、たまたま電源を入れたところに列車が飛び込んでくるとは、今日はついてるなぁ♪
 線路も道路も海から離れて、越中国分駅までやってきた。

さすが炎天下…滝のような汗!

 日陰に逃げ込むが、汗が止まるまではもう10分かかった。もうパンツまでびっしょりだ…。うう、風呂に入りたい。
 しかし、温泉は近くにはない。もっと言えば、これから今日中に温泉に入れるところまでたどり着くことはできない。そう思うとなおさら風呂に入りたくなってきた。いろいろ悩んだのだが、ついに結論。

ダメだ、ホテルに泊まろう…

 富山のホテルに電話して宿を確保。野宿計画は崩れ去った。まさか風呂が原因で計画がダメになるとは予想していなかったなぁ。JR東日本圏内には多くの温泉があるのだが、西へ行くと温泉が少ない。これを頭に入れておこう。
 金はかからない方がいいけど、ま、そんなに無理して気持ち悪い思いしなくてもいいだろう。辛く厳しいのならともかく、気持ち悪いってのはあまりいい思い出にならなそうだし。
 人心地ついて、この駅がなかなか味のある駅であることに気がついた。これは絵になる♪
 青春18切符のポスターっぽい絵が撮れそうな駅だった。
 下り列車を撮影し、戻ってきた上り列車に乗って高岡へと戻る。これにて氷見線終了。
 期待していなかった割に、海沿いについてはかなりおいしい風景だった。
 9/14〜16の三連休にはここをSLシーサイド号が走ることになっている。今日歩いた区間はてつで埋め尽くされるのだろう。ああ、海沿いを走るSL。見てみたいが、混雑しているのは好きじゃないしなぁ。

 富山に着いたのは1700。早いがホテルに入ってしまう。
 帰りも高山線を使うのだが、ここで気になることがあるのだ。初日に野宿した猪谷という駅から、神岡鉄道が延びているのだが、そこに神岡鉱山前という駅がある。岐阜県・神岡・鉱山…このキーワードから思い出されるものがあった。宿をもっと先、この時間なら高山まで到達することができるにもかかわらず、富山にしたのは、これが気になったからである。もし予想通りなら、猪谷から神岡鉄道に入ることになる。
 予感を確かめるため、ネットで情報を確認する。間違いない! 

神岡にはスーパーカミオカンデがある!

 知る人ぞ知る、知らない人は全然聞いたこともない、ニュートリノという素粒子を検出する施設である。
 ホームページを見る限り、研究所ですら見学ができるか不明で、ヘタすりゃ門前払いになると思う。しかし、知ってしまったからには行ってみるしかないだろう。 

いきばたバンザイ!

 明日も始発で出発しよう。と思ったが、そんなに早く行っても行った先で施設が開いてないじゃないか…。
 気の済むまで風呂に入って、とっとと寝る。…予定だったのだが、日記を書いていたらすっかり遅くなる(^^;


 海沿いを走るキハ58・28の急行型車両。
 この駅間は本当に海のすぐ横を走るため、景観が素晴らしい☆ 2kmと短いが海を堪能しよう!
 デジカメでこれだけ撮れれば満足の域。シャッタースピードが遅くて、ちょっとぶれてるけど(^^;
(雨晴−越中国分間にて 2002.08.29)

 南海にあるようなたたずまいの越中国分駅。
 急行型として生まれたキハ58・28。今は普通列車としては地元の学生と少しの観光客を乗せて走る。急行の頃、見向きもしなかった小さな駅に各駅停車。でも、その方が幸せだと思うのは筆者だけだろうか。のんびりと余生を過ごして欲しいものだ。
(越中国分駅にて 2002.08.29)

8/30(金) 富山〜猪谷〜茂住〜漆山〜猪谷〜杉原〜岐阜〜名古屋〜沼津

 今日は始発ではないので睡眠時間は十分。
 よく考えたら、朝起きて日が昇っていたのは、今日が初めてだ(笑)
 猪谷駅まではキハ120系。やっぱり、富山−猪谷間はこの車両みたいだな。
 野宿したせいで妙に愛着のある猪谷駅。ここから私鉄である神岡鉄道に乗り継ぐ。しばらく待っているといかにもノスタルジックな車両がやってきた。一両編成。非電化なのでディーゼル車なのだが、見たこともない型だった。少し幅広に感じる。そして驚くべきは

車両の中にいろりがある!

 津軽鉄道のストーブ列車もびっくりだ。

と思ったら、火はニセ物だった(^^;

 ま、フェイクのいろりがあるだけでも十分驚くに値するが…。
 車両はかろうじてクーラーが入っていたが、窓が開けられており、ここから入ってくる風の方が涼しかった。トンネル中ではさらに風が冷たくなり、下手なクーラーなど必要ないくらいだ。さすがに鉱山鉄道だけあって、穴を掘るのが好きらしく、トンネルが多い。
 目的の茂住(もずみ)駅まではたった2駅。10分足らずで到着する。
 駅にある観光地案内板に、確かにスーパーカミオカンデの表示がある。いや、正確に言うと、そこに書かれていたのは最後が違っていた。

スーパーカミオカンデーって伸ばすなー!

 KAMIOKA Nucleon Decay Experiment(核子崩壊観測装置?)の略なので、伸ばさないのが正解だ。これを見た関係者らは、きっと苦笑いするんだろうな(^^;
 4kmと書いてあるが、とりあえず歩き出してみる。また、東大の宇宙線研究所のほうは0.7kmと近いようだ。
 研究所の方はすぐに見つかった。なにやら中小企業のような小さな建物で、看板がなければ学術施設とは到底思えないような建物だった。見学とかそういう感じは全くない。出入りしている人もいなかったので、さっさと通り過ぎる。
 その代わり、郵便局でスーパーカミオカンデのことを訊ねた。さすがに町の名物(?)だけあって、皆が知っているようだ。やはり一般公開はしていないようで、行ってもせいぜい所員が出入りする風景が見られる程度だという。なお、年に一度一般公開があるそうで、中を見学できるチャンスはそのときだけだという。人数が制限されているため、抽選となっていて、おっちゃんの話だとなかなか受からないらしい。
 別な人が今年の一般公開について書かれた町内報かなにかを見せてくれた。後で応募するため、カメラに記録する。
 とりあえず、施設の看板だけでもカメラに収めようと思い、礼を言って郵便局を後にする。しっかし、

郵便局のおっちゃんからニュートリノという言葉が聞けるのはここだけだろう

 これだけでも十分ここまで来た価値がある…かもしれない(^^;
 さて、気合いを入れて歩き出す。かなり遠いようだ。詳細な地図を入手しようと、駐在所に入ってみたがパトロール中でいなかった。ただ、簡易的なものだが、地図が壁に貼ってあり、スーパーカミオカンデまでの道がだいたいわかった。この地図、

余った部分に、熊の絵の切り抜きが貼りまくってあるのは本気か冗談か?

 とりあえず、駅にあった4kmというのは直線距離の話で、実際にはその倍ぐらいありそうだった。
 中に入れないのに、看板の写真を撮るためだけにそんなに歩くのか?
 一瞬自問自答したが、スーパーカミオカンデのためにここまで来たのだ。行くだけ行ってみよう。ということで、無謀にも歩き出した。旅先でこんなに歩き回っているのは筆者ぐらい何じゃないだろうか…。
 歩いている国道には歩道がなく、トラックやらトレーラーやらがすぐ脇を通り抜けていくと結構恐い。
 3km程度歩いたとき、トンネルというか雪よけの中で、後ろからやってきた車が筆者を追い抜いたところで止まり、後部座席に乗るように指示される。白と黒のツートンカラーの車。それは間違いなくパトカーだった。

かくしてパトカーに乗せられる(笑)

 きっと、さっき留守だったあの駐在所のお巡りさんなんだろうな。
 ああ、パトカーに乗るの久しぶり。これで3回目だっけか?
 容疑は通行区分違反とでも言おうか。危ないから歩道を歩けとと注意される。雪をさけるためのトンネルが多数続くこの国道では、今日みたいによく晴れた日は明るいところから暗いトンネルに入った瞬間、非常に見えにくくなる。で、ただでさえ黒っぽい服装をしている筆者が危ないということで、逮捕(逮捕じゃねーって)に至ったらしい。まあ、理屈はわかる。
 でも歩道なんてあったか?
 そう思っていたら、どうやらトンネルのところにだけはあるらしい。
 行き先を聞かれて、スーパーカミオカンデだと言うと、「一般の人は入れてくれないぞ」と言われた。でも看板だけでも見て行くつもりだというと、道を教えてくれた。ただ、ここで新しい情報なのだが、施設が見える前に、神岡鉱業のゲートというか受付があって、そこから先に入れないとのこと。
 そうか、スーパーカミオカンデは廃坑道の中に作られていたんだっけ。どうやら山は丸ごと神岡鉱業のものらしい。
 ま、行けるところまで行くしかないよな。
 そのあと、身分証明書の提示、職務質問と型どおりのやりとりを行って無事放免。
 これはお巡りさんが日報を書くのに必要な情報なので、快く情報を開示してあげよう。ここで渋ると、ますます疑われてしまうぞ。

が、実はちょっとウソをついてしまった(^^;

 「サラリーマン?」と聞かれて、思わず「はい」と答えてしまったのだ。本当は失業中で無職なのだが…(^^; でも、悪意のないウソだよね!?
 しかし、田舎に行って、とても人が歩かないようなところを歩いていると、よくパトカーに乗せられる。

でも、行き先までは乗せていってくれない!

 タクシーじゃないんだから当たり前だが…。どうせ暇なんだから乗せていってくれても罰は当たらないような…。
 今度は歩道を見つけたらそこを歩くようにする。
 お巡りさんの手書きの地図は、かなり要点をおさえてあって、非常にわかりやすい。目印になるようなものが少ないからだという説もあるが、ここはお巡りさんの地図が素晴らしいという事にしておこう。
 迷うこともなく、国道からスーパーカミオカンデのある神岡鉱業の受付がある山の中へ入っていく。国道から離れること約1.5km、その受付というのがあった。「これより先、神岡鉱業の土地」とあり、「関係者以外の立入を禁じる」とパターン通りの看板が立ちふさがっていた。
 うー、やっぱここまでか。まわりにはスーパーカミオカンデの「ス」の字もない…。
 受付に人の姿がなかったので、このまま突破することも可能だったのだが、良心と、お巡りさん曰く、さらにあと3〜4kmぐらいあるという距離に負けて、ここで引き返すことにした。
 今回は引き分けということにしておこう。
 再び国道に戻る。しかし、来た道は引き返さない。
 この先に、次の駅があるのだ。引き返すよりも距離は短い。未知なる土地で迷う可能性はあったが、お巡りさんの地図に、この駅も書いてもらってあるのでたぶん大丈夫だ。
 さらに2kmぐらい行ったところで駅に到着。なかなか風情のある駅だ。なにより木陰にあるのが素晴らしい!
 日差しは強いわ、歩いたわで、汗がだらだらだらだら…。すでにパンツまでびっしょり。唯一の救いは湿度が少ないことで、日陰にはいると嘘のように涼しかった。
 駅で木陰を堪能する…暇もなく列車が来る。
 こういうときに妙に接続が良かったりするのは、いいんだか悪いんだか…。
 やってきた列車は、最初に乗ったのと同じ「おくひだ1号」。筆者がテクテク歩いているうちに、終点まで行って戻ってきたのだろう。もっとも運行本数自体が少ないため、

果たして2号があるかどうかは怪しい

 窓からの風で体を空冷。ようやく人心地ついたところで猪谷駅に到着。そしてまたもやJRとの接続も6分後というすばらしさ♪ 今日はよくつながる日だ。
 ここからはキハ48・48コンビ。接続は良かったが、次の杉原駅で特急待ちの停車だった。高山本線は普通列車と同じぐらい特急が走っているため、特急待ちはしょっちゅうある。
 と、駅に「おんり〜湯 徒歩5分」という看板を発見!
 汗だくでちょうど風呂に入りたかったところだ。下呂まで行くつもりだったのだが、未知の土地の方が魅力的である。そしてすぐに風呂に入れるのは、それ以上に魅力的だった。
 広げた荷物を慌てて畳み、特急待ちの車内から飛び降りる。素晴らしい決断力と行動力。やはり、この機動力は一人旅にしかできない。提案、即、承認(笑)
 あまりにも時間がなくて、やってきた特急の撮影ができなかったほどだ。
 が、当然後先を考える時間もなかったので

次の列車まで3時間待ち(^^;

 ローカル線ではよくあることだ。列車待ちを嫌がっているようでは一人前の旅人にはなれないぞ。
 駅よりも小高いところにおんり〜湯はあった。見れば隣にはスキー場、ホテルがあり、おんり〜湯はまんが図書館と併設という、なんとも奇妙な施設だった。
 スキーに来て泊まって温泉に入るのはわかるが、こんなところまで来てまんがを読むような人間がいるのかはなはだ疑問だ…。たしか、駅のところにも「まんが王国へようこそ」なんて文字があったが、これはあれだな

まんが世代にアピール→失敗

 苦肉の策で村おこしをはかったが、うまくいかなかったというやつ。地方にはよくあるよくある。たまに、どうしてこれで村おこしできると思うんだろうかと、首を傾げたくなるような企画に出会うこともある。このまんが図書館もそうだ。都会でまんが喫茶が流行っているから作ったんだろうか? よくわからん。
 温泉は露天風呂ではないが、180度ガラス張りの展望風呂。サウナ、ジャグジーと普通の設備。子供用にプールがあり、水着をレンタルして入れるらしい。人もほとんどいなかったので、ほぼ貸し切り状態で温泉を堪能する。
 食堂も併設されていたのでのぞいてみると、ウナギ定食600円だった。ちょうど昼だし、列車まであと2時間あるのでここで昼食。
 駅へ戻って、汗で濡れたシャツを干しつつ、ちかくの店で買ったアイスをかじる。このアイス、カップの周りにでっかい氷がついていたのだが、

何年前のものかわからないアイスも地方の醍醐味!?

 そう言えば、昨日飲んだ紅茶花伝ロイヤルミルクティーは、賞味期限ぎりぎりで、なにか固形物が析出していたなぁ(^^;
 普通列車は来ないのに、何本も通過していく特急を撮影。鬼のような日差しに、シャツもタオルもすっかり乾いた頃、ようやく上り列車がやってきた。
 これで美濃太田着が16時台。もう歩き疲れたし、温泉でさっぱりした後に汗はかきたくない。途中下車せずに一気に行こう。明日、三島に行く必要があるので、今日の内に東海道線には出ておきたい。
 一日目は真っ暗で景色など見えなかったのだが、ここらの景色はなかなかのもの。ちょっとダムやら発電所が多かったりするが、渓谷はおもしろそうだ。このあたりの岩質が特殊なのだろう。もっとも景色のいいところは駅から離れていて、行くのは大変そう。これは車窓から眺めるのが吉だな♪ 強いて言えば、白川口駅の下油井側が駅から近いが、白川口−上麻生間の方が迫力がある。
 美濃太田から、太多線経由で名古屋にでるか、そのまま乗り継いで岐阜に行くかという選択肢は、岐阜行きをとった。岐阜からの方が乗り継ぎが良かったからだ。
 岐阜−美濃太田間はキハ11が案内役。一両でもワンマン運転できる両側に運転台のついている車両だが、2両編成だった。チャームポイントのサイドミラーは、必要ないときはたたんでおけるようだ。
 岐阜で待ち時間なしの見事な乗り継ぎ。しかし、名古屋駅で下車した。

お土産を買ってなかった!

 無職なので会社に買っていく必要はないが、明日後輩の家に遊びに行くのにお土産を買っておく必要があったのだ。いまさらだが、それもあって岐阜行きに決めたはずだったのだが、あまりにも接続が素晴らしかったので…。

思わず乗り継いでしまうのは「てつ」のサガ…

 名古屋でちゃんとしたお土産を買う。ちゃんというのは、地方限定お菓子とかじゃなく、どこに出しても恥ずかしくない、いわゆるお土産ということだ。
 が、やっぱり遊び心で「夏季限定」の「水うぃろう」に決定した。

でも、もしかして、これってただの水ようかん?(^^;

 さて、ここからはもうサガだろうがなんだろうが、ひたすら東海道を東進するのみ。温泉でさっぱりしてきているので、ホテルに泊まるつもりはない。PCの電源も、デジカメの電池も、後輩の家に行く明日には心配する必要はない。今日はどこでも夜が明かせる!
 時刻表を読み解いていくと、どうやら沼津で行き止まりになるようだ。
 このあたり、すっかり入れ替えがすんでしまったのか、乗り継ぐ列車が全て313系である。さすが新型と言うべきか、加速はいいし、シートも座り心地がよい。
 日も落ちて景色も見えないし、見えてもどうせ都会を走っているので、全力で眠る。
 時刻表の通り、2405沼津到着。これより先へは、後から来るムーンライトながらに乗らないかぎり進めない。
 ムーンライトながらが来るまでは駅は閉まらないだろうから、駅のホームの椅子で寝に入る。
 他にも青春18キッパーズとおぼしき若者達と、ホームレスらしき人々が周りの椅子で寝ている。こういう場合、ホームレスの人たちが「自分のベンチ」を(勝手に)決めている場合が多いので、その辺を見極めながら陣取ろう!
 東海道線はひっきりなしに貨物列車が通るので、振動と騒音で、さすがの筆者も熟睡とまではいかなかった。しかし、正味2時間弱は寝たのではないだろうか。
 やってきたムーンライトながらはそこそこ混んでいた。デッキにも人がいるし…。

全席指定のはずじゃ…

 週末は混むので、立ち席指定券を発売しているのだろう。筆者もこれに乗れば早朝に家に着くことができ、三島へは改めて出発することができるのだが、先ほどの電話で急遽午前中集合になったため、沼津駅で夜を明かすことに決めていた。
 ムーンライトながらを見送り、ホームレスの人たちの動向を見守る。
 もし、駅が閉鎖になるのであれば、彼らは駅から撤収を始めるはずだ。しかし、一向に動く気配はない。始発まで後2時間。貨物も通過するし、駅は24時間閉鎖されないのだろう。
 それがわかると、再び貨物列車にうなされながら、とぎれとぎれに眠る。

が、ホームレスのひとはいびきをかいて爆睡している…さすがプロ!

 そういえば、駅のホームで夜を明かすのって、意外にも初めてだった。


 緑鮮やかな山中の駅に到着した、神岡鉄道おくひだ1号。窓から入ってくる山の風は、クーラーなんかよりもずっと心地よい☆
(漆山駅にて 2002.08.30)

 岐阜県から富山県へ、県境へ向かうキハ48・48コンビ。高山本線は車窓の風景が美しい。長い路線だが、ぜひ昼間に車窓の旅をしてみよう♪
(杉原駅にて 2002.08.30)

8/31(土) 沼津〜小田原〜三島〜菊名

 ホームレスの人たちが活動を始めたのに気がついて目覚める。0430。なんだかんだで、途中で貨物に起こされた記憶がない…。

また一歩、究極体に近づいたかも…

 斜め後ろで話しているのは青春18キッパー。どうやら夜通し一期一会を楽しんでいたようで、仕上げの住所交換をしていた。うんうん。

青春18キッパーはいつの時代もいいもんだ

 俺は寝てたが…。
 今日で夏休みも終わりだ。全国に散らばった青春18キッパーズは、今日は一生懸命家に帰るんだろう。がんばれ!
 身支度を整え、朝一でやってきた急行銀河を撮影。そういえば、今日も日の出前に起きたな。
 始発の東京行きに乗る。気づくと寝ていて三島を通り越していた。が、この時間に三島についてもしょうがないので、問題はない。せっかくだからと、一度、神奈川県まで戻って、今回の旅に一応終止符を打っておくことにした。
 今日は後輩の家に遊びに行くのであって、青春18切符の旅とはちょっと違うからだ。
 小田原駅下車。

 今回の旅、キハが目的と言うことで、特に目的地というものを設定しなかった。
 旅というものの原点に戻るためである。ま、半分は筆者の性格によるものの気がするが…。
 時刻表を駆使して、予定を立て、実行する。トラブルに出くわしたときには、リカバリー。
 これは、なにも旅だけに必要なことではなく、人生全てにおいて当てはまることだ。
 最近、ついつい説教くさくなってしまうのだが、最近の若い者は自分で考えて決断し、行動する能力が足りないと思う。決断力については足りないとかいうのではなく、決断する気がないように見える。問題に出会ったときもそう。「どうしたらいいですか?」と聞いてくる始末だ。
 これらの能力は一人旅に必須のものだ。

かわいい子には旅をさせろ

 とはよく言ったもので、やはり、こういう体験から問題解決能力を身につけていくんだと思う。
 とまあ、理屈はこうだが、とにかく、一人旅をしたことがない人には、一度一人旅をしてみることをおススメする。
 どんな形になるかはわからないが、新しい何かを見つけることができるはずだ。

 さあ、次はどこへ行く?

決めるのは君だ!



おまけ 何歩あるいたの?
1日目:20253歩=約10km
2日目:22989歩=約11km
3日目:13112歩=約6km
4日目:20406歩=約10km


 夜明け前、大阪から急行寝台銀河到着。
 時刻表で見ると、最初のページではなく最後のページに載っている。
 夜行列車はブルーが似合う。ブルートレインよ永遠なれ!
(沼津駅にて 2002.08.31)

 こちらは上り始発列車、沼津発東京行き。
 朝早くから夜遅くまで、日本の動脈を支える115系も、211系への置き換えが進んでいる。長い間東海道の色として親しんだ湘南色が減っていくのは寂しい…。
(沼津にて 2002.08.31)

2002.08.27-08.31