鋼鉄の愛馬と魔法の書が君を四大陸へいざなう。
知らない場所、初めての街、さまざまな出会いが軌道の先にある。
シャレてる暇はない。さあ、出発の時間だ!
第0015号
2002.07.13-07.14

2002.07.13-07.14

・ダムに沈む川原湯温泉 〜吾妻線〜 & キハのススメ 〜米坂線〜


 日本一短い7.2mのトンネルを抜ける115系を撮影する人々。ちなみに左側が筆者(^^;
 八ッ場ダムができてもこのトンネルは水没しないが、吾妻線がどうなるのかはまだ決まっていない。場所が場所だけに、新たにレールを敷くと相当高くつきそうだが…。
(樽沢隧道にて)

 米坂線を力走するキハ47・キハ52コンビ。写真で顔が見えているほうがキハ47。勾配の多い山岳地帯にディーゼルエンジンがうなりをあげる。キハ110系が投入されていない数少ないディーゼル区間。
(伊佐領駅付近にて)

7/13(土) 〜菊名〜東京〜高崎〜大前〜川原湯温泉〜新潟

 会社を辞めてから初めての旅。時間的に余裕があったため、火曜日には旅程が決定していた。
 今回の目的地は、ダムの建設が決定されて、いよいよ沈むことが確定した吾妻線の川原湯温泉。翌日は阿瀬見のリクエストで横川の鉄道文化村の予定だ。
 切符は土日きっぷスペシャル。昔のウィークエンドフリー切符がJR東日本全線だったのに較べると、北端が制限されていてちょっと寂しい切符だが、指定を受ければ指定席にも乗れる。
 目的地が2日とも高崎近辺なのを、切符を買ってから後悔する。青春18切符7/20からなのでまだ使えないのだが、高崎に行くのに土日きっぷ? めちゃめちゃもったいない…という考えが頭をぐるぐる巡っていた。
 今回の道連れは、よく道連れてくれる阿瀬見と、昔北海道に行って以来の徹朗。
 各自で土日きっぷを購入し、東京駅新幹線ホームにて待ち合わせということになっている。切符を別々に買ったため、3人分の指定をいっぺんに受けることができなかった。よって、自由席を取らないといけない。高崎までは1時間程度なので、座れなくても大丈夫なのだが、初っぱなから座れないというのは幸先が良くない。
 ちょっと早めに出よう、と思ってたら0600には家を出ていた。で、東京着が0700…。乗る列車まで1時間以上ある。いくら何でも早すぎかと思ったが、これから吾妻線に乗ろうという変わり者にとっては、1時間待ちぐらい、文字通り朝飯前だ♪
 ゲームをして待つこと40分。阿瀬見も徹朗も集合時間よりもちょっと早めに来る。二人ともわかっているなぁ(笑)
 朝御飯は高崎駅の立ち食いソバ屋のカレー(わかりにくいな…)に決めていたので、駅弁は買わずにMAXあさひ309に乗り込む。東京0824-0915高崎。1時間かからない。これが普通列車だと約2時間なのだから、やっぱり新幹線は速い。ちょっとおしゃべりしているうちに到着。はやいはやい☆
 高崎線の立ち食いソバ屋は2軒あるのだが、八高線のホームにある立ち食いソバ屋が本命。ここのカレーが絶品なのだ。たぶん以前の旅日記でも高崎に寄るごとに書いてあると思うのだが、キャンプ場で作った2日目のjカレーの味で、絶品なのだ♪ いつもみんなにそういっているのだが、前回、阿瀬見に食べさせようとしたらご飯がなくなっちゃってて食べられなかったのだ。
 今回は朝なので、売り切れの心配はいらない。

ま、だからって朝からカレーもないもんだが(^^;

 二人とも「それなりにうまい」などと失礼なことをいうのだが、筆者は絶品だと思うんだけどなぁ…。とにかく、みなさんも一度ご賞味あれ。
 カレーを食べ終わったところで、筆者のミッション達成率はいきなり20%に上昇(笑)
 東京ではあやしかった空も、こちらでは曇ってはいるものの雨はなんとか回避できそうだ。ただ、阿瀬見本人は否定しているものの、過去の統計から阿瀬見が「夕立男」なので、油断はできない。
 吾妻線の終点「大前」まで行く列車は日に5本しかなく、難易度が高いのだが、今回はあらかじめ時刻表を見て計画を立ててあるのでその辺に抜かりはない。高崎0942-1123大前の直通列車に乗り込む。吾妻線でもっともポピュラーな湘南色の115系だ。
 渋川から吾妻線に入ると、街の景色から山の景色へと変わる。こうなると自然と気分ものってくる。
 吾妻線には、「てつ」には有名であろうと思われる、「日本一短いトンネル」がある。長さ7.2m!
 「そろそろじゃない?」なーんて言い始めたとき、一瞬だけトンネルのようなものを通った気がした。

しまった! 今のがそうだ! みじかっ!(笑)

 いやー、日本一は伊達じゃないね(^^; まー、あとで外から見るし、帰りも通る(吾妻線は単線です)のでいいだろう。
 終着駅の大前には何もない。線路の終わりがあるだけだ。この何にもないところが大前のいいところなんだけどね。当初、筆者達以外に誰も降りないであろうと予想していたのだが、大きな荷物を持ったおばあちゃんと娘さんらしき人が降りた。そりゃ、利用者だって0じゃない。吾妻線沈んだら困る人も当然いるんだよなぁ。
 この列車、6分後に大前から折り返すので、あたりをちょっと撮影したら、列車と一緒に筆者らも折り返す。
 川原湯温泉に戻ってくると1200。筆者ら以外、誰も降りないのを見て、阿瀬見が「以外と降りる人いないなぁ」とつぶやく。

そりゃ、この時間、上り列車で川原湯温泉に降りるヤツはいなよ(^^;

 川原湯温泉が目的地なら、普通は下り列車で来るわけで…。そんなにいっぱい大前まで行って折り返してくる人がいたら、そっちのほうがびっくりだよ(^^;
 まずは昼飯だ!と思ったら、駅前の食堂が営業していなかった。どうやら潰れたらしい(^^;
 前回、といっても、かなり昔で、1999年の11月に来たときにはやっていたんだけどなぁ。紅葉シーズンしかやってないのかなぁ? ここ以外には、温泉街も含めて飯を食えそうなところはない。渓谷の方にソバ屋とかがあるので、昼御飯はしばらく我慢するしかない。
 前回は工事中で仮設の足場があった。今回はさすがに工事が終わっていて、ちゃんとハイキングコースになっていた。3年前の記憶がかなりあやしくて、結局最後の鹿飛橋以外、憶えていなかった。日本中の渓谷を歩き回っているので、記憶がぐちゃぐちゃになってしまっている。
 川原湯温泉および吾妻渓谷は紅葉の美しいことで有名で、秋には観光客でにぎわう。夏だと客はそう多くはないが、夏も緑がきれいでいいもんだ。
 渓谷の割にはハイキングコースが山の中にあって、川の音は聞こえるがあまり川は見えない。だが、途中に道を分断するように流れる滝がいくつもあり、マイナスイオンを存分に補給できる。山の中なのでアップダウンがかなり激しい。運動不足だとキビシイかもしれない。徹朗はちょっとへばっていたように見える(^^;
 途中、見晴台があるのだが、これがかなり高いところにある。ベンチもあるので、ここで一休み。シャツはもとより、パンツまで汗でびっしょりだよ(^^;
 そこですれ違ったおっちゃんがなんとビーサンを履いていた…。強者にとってはこの程度の道は悪路ではないようだ。すっかりばてている阿瀬見と徹朗。こら、よわよわだぞ、君たち。

って、実は密かに筆者も下り坂でひざが笑っていた(^^;

 鹿飛橋を渡ると吾妻渓谷巡りは終了。つづいてトンネルでの列車撮影に向かう。
 トンネルは外から見てもやっぱり短かった。歩道には日本一短いトンネルという看板があり、トンネルを見学する人用に設置されたベンチまである。一応観光資源として認められているようだ。
 長さが7.2mなので、列車がトンネルに入ったとき1両の列車の前と後ろがそれぞれトンネルの前と後ろから見えるという、奇妙な光景が見えることになる。これを撮影するのが目的だ。
 時刻表を見ると、ちょうど列車が来るところだった。筆者と阿瀬見がカメラを構えているところを、後ろから徹朗に盗撮される(笑)

しかも、筆者は撮影失敗(T_T)

 待っている間に電源が切れてしまい、再起動している間に列車が来てしまってシャッターチャンスに間に合わなかったのだ。
 列車はトンネルを貫いていたが、先頭車両がフレームからはみ出た。うーん、デジカメはつけっぱなしにしてると自動的に電源が切れてしまったり、電池そのものが切れてしまったりするため、待つ撮影には向いていない。
 というわけで、このページの扉の写真は徹朗氏の撮影したものである。この写真、筆者らにピントがあってるんだよね(^^;
 筆者としては185系とか107系の撮影をしたかったのだが、次の列車を待っていると温泉に入れなくなってしまうので、後ろ髪を引かれながら樽沢隧道を後にした。うーん、なんかリベンジしたい気分だ(^^;
 温泉街に行くために、今度は渓谷を通らずに国道づたいに駅方面に歩いていく。この通りにはそば屋などが何軒かあり、遅めの昼食をいただくことにした。そばは立ち食いソバ屋並みの味だったが、生ビールが最高にうまかった。アサヒだったけど(^^; やっぱ、のどが渇いているときのビールはうまいねぇ♪
 ようやく腹が落ち着いたところで店から出ると雨…。

阿瀬見の夕立能力発動!

 本人は否定していたが、やっぱり阿瀬見、夕立能力あるって! 幸い、峠はすでに越えているらしく、傘を差さずに駅まで行けた。駅舎で雨宿りしていると雨が強くなる。
 筆者の晴れ能力は、屋根の下などでは発揮されないことがわかっているので、本当は雨宿りしちゃダメなんだよね。筆者が外に出ると小降りになる。阿瀬見の夕立能力と筆者の晴れ能力がせめぎ合っているのだろう。

 雨をぬってたどり着いた温泉街は、前回来たときとあまり変わっていなかったが、それでもいくつかの建物がなくなっていたりした。やっぱ、さびれていく方向のようだ。まぁ温泉地なんて、基本的に発展する方向には向かないもんだけどね。
 公衆温泉の王湯に入る。薄れがちな記憶をたどると、前回は混雑していたので断念し、隣のホテルの風呂に日帰り入浴したような気がする。入ってみると、小さな建物の割には縦方向に長く、斜面の途中に露天風呂があった。着替えロッカーが10あまりしかなく、浴槽も詰め込んで8人、平常では5人ぐらいで満タンになるぐらいの広さ。洗い場もなく、ただつかるだけだ。眺めもいまいち。
 たしかにすばらしいものではなかったが、汗だくの筆者らにとっては天国に近かった(笑)
 源泉の温度は80度ということで、風呂に流れ込んでいる温泉を直接さわることはできないが、かなり熱いのは確かだ。
 Tシャツもパンツもはきかえて、さっぱりしたところで外に出るとまた雨が降っていた。やっぱり屋根の下に入ると雨が降ってくる。晴らすため、筆者が先に外に出ていると、みんながそろった頃に小降りになった。これって、すげー能力かも…。
 川原湯温泉1608の高崎行きに乗る。日本一短いトンネル、今度こそは見逃すまいと気合いを入れていたので、無事に確認できた。トンネルの中から撮影を試みたが、シャッターを切ったタイミングがすばらしすぎて、ちょうど真っ暗なところでシャッターが切れていた。もちろん、何も映っていない。いや、わずかに車窓に撮影する自分の姿が映っている。7.2mのトンネルで、ちゃんとトンネルの中でシャッターが切れたのは、これはこれで貴重な気がする。
 気合いを入れていてもやっぱりトンネルはあっという間に過ぎていった…(^^;
 車内で筆者は時刻表をめくっていた。

明日も高崎じゃもったいない!

 高崎から新幹線に乗って新潟方面、もしくは長野方面に行き、明日まわって帰ってこれるところ、という条件でルートを見直す。白羽の矢が立ったのは米坂線。新潟県北部の坂町と山形県の米沢を結ぶローカル線である。
 今日新潟まで移動し、明日の朝から移動を始めると、ぶらり途中下車の旅をして夕方米沢に着くことが可能だ。
 これなら土日きっぷスペシャルの元も十分に取れるというものである。
 鉄道文化村に行きたいと言っていた阿瀬見に、鉄道文化村は日帰りでまた今度にすることを約束し、一路新潟へ!

行き当たりばったり、サイコー!(笑)

 高崎駅でMAXあさひに乗り換え。始発駅ではないため、さすがに3人まとめて座ることはできない。しかし、すっかりバテバテの阿瀬見と徹朗は寝に入ってしまい、バラバラでも問題なかった。自分も含めて、もっと体力を付けとかないと旅が楽しめないなぁ。ちなみに、MAXあさひはE4。あさひにE4が導入されているなんて知らなかった。阿瀬見はMAXの二階席は初めてだったそうな。ま、寝てたんじゃ景色も何もないけどね(^^;
 新潟駅ではいろいろとすることがある。
 まず、阿瀬見がリバーサルフィルムを入手したいというので、閉店前に店に行く必要がある。
 のだが、新潟駅のホームには珍しい車両が入っていた。
 ばんえつ物語号の客車と連結された白いDE10。正確には黄緑のラインが入った、上越色のDE10である。

ああ!オレをホームに行かせてくれぇ!

 暗くなって撮影には向かないとわかっているが、それでもあいつらを放っておくのは「てつ」としてあるまじき行為なのでは! すっかり、「てつ」となった筆者。最近、すっかり鉄分が濃くなってきているようだ。てつではない徹朗が向こうで失笑している…。

テツロウのくせに「てつ」じゃないのは納得できない!(笑)

 しかし、カメラ小僧である阿瀬見もリバーサルフィルム入手に必死で、ヨドバシカメラが閉まる前に行くのだ!と主張し、筆者のホーム行きは却下された。
 がーん!さらば、白いDE10…。
 だが、そのヨドバシカメラが一向に見つからない。繁華街らしきところを歩き回るが看板が見つからない。Webで調べると、駅の周辺の一等地にあるらしく、住所が1-1-1となっている。「移転したのか?」なーんて思っているところで、徹朗が現地住民に尋ねたところ、どうやら駅ビルの中らしい。
 その後、さらに迷い彷徨ったあげく、駅ビルではなく連絡通路のなかに店を発見。これは口で説明されてもわからない…。結局40分も探し歩いてしまった。
 この放浪の間に、他のやることも全部片づいてしまった。
 まさか、こんなところに来るとは思っていなかったので、南東北のるるぶを購入し、明日の道しるべとする。
 そして、米沢からの帰りの新幹線の指定席をGETする。山形新幹線は新庄、あるいは山形が発駅となるわけだが、ここで乗った人達は基本的に山形新幹線区間では下車しない。米沢から乗ろうとすると、どんなに早くに並んでいたとしても座れない可能性が高いのだ。結局、1855米沢の新幹線の指定席をGET。米沢で飯食って、ちょうどいい時間が取れた。しかも、指定席料はタダ! すばらしい☆
 これで、帰りはぎりぎりまで遊んでいられる☆
 次はホテル。これもここまで来るとは思っていなかったので、新潟の宿帳などもっていない。飛び込みで何件かビジネスホテルにアタックをかけるが、これがみんな満室。土曜日の夜になんでこんなにビジネスホテルが混んでるんだぁ? かなり疑問に思いながら、ようやくα−1でツインとシングルで3人分を確保。しかし、だいぶ高い。α−1はチェーン店で、5k程度で泊まれるのが普通だが、ここでは7kもした。飛び込みだからなのだろうか?
 なんかいまいち損した気分だ。
 夕御飯は適当に決めた飲み屋に突撃。せっかく新潟なので、日本酒を冷やでいただく。酒はうまかったが、飲み過ぎない程度で引き上げた。旅先で二日酔い、考えただけでも恐ろしい(^^;
 ホテルに帰って作戦会議。といっても、明日の朝の集合時間を決めるために、一番に乗る列車を決めるだけだ。

ローカル線は始発に乗れ!

 ということわざ(?)通り、乗れる一番早い列車を選んだ結果、新潟発0604に乗ることに決定。必然的に集合時間が0530となる。筆者にとっては当たり前なのだが、徹朗にはちょっとキビシイスケジュールかなぁ?
 明日が早いので、さっさと寝ればいいものを、ツインに入った筆者と徹朗はゲームの話で盛り上がり、結局寝たのは2500(^^; 朝、シャワーを浴びるため、起床時間は0430。睡眠時間は3.5H。がんばれ徹朗!(笑)


 終着駅の大前で車止め見る115系。ほとんどの列車がひとつ手前の万座鹿沢口止まりであるため、日に5本しか列車が来ない。海抜840mのここはダムには沈まない。けれど、ダム湖を迂回するルートができなければ、一本の列車も来ない駅になってしまう…。
(大前駅にて)

 ダム計画の図(図をクリックすると拡大)。緑の点線の内側がダム湖に沈む。
 川原湯温泉街はダムに沈まない高い位置に移転しようとしている。温泉街が残っても列車が途切れてしまってはしょうがない。草津や万座、鹿沢に通じる鉄道路線も断たれることになる。生き残れるかどうかはこのあたりの需要とのかねあいになるだろう。
(川原湯温泉駅にて)

7/14(日) 〜新発田〜坂町〜小国〜伊佐領〜羽前松岡〜米沢〜東京〜菊名

 0430起床。徹朗も無事に起きていた。いや、かなり眠そうだな(^^;
 とりあえず先にシャワーを浴びると、ようやく徹朗復活。徹朗がシャワーを浴びている間に、筆者は本日のラフな計画を立てる。
 計画といっても大したものじゃない。ここで押さえとくべき要点は二つ。この二つさえ押さえておけばローカル線の旅を堪能できる。

1.どこで、何回途中下車できるか
2.降りると対向列車がいつ何本来るか

 この法則は途中で観光する気がなく、ローカル線そのものが目的であるときに適用できる。
 米坂線は本数がすくないため、最大4時間待ちがある。この間に逆方向の列車を撮影するというのが、今回の最大イベントに決定した。そして「てつ」でない阿瀬見や徹朗には悪いが、なーんにもない山の中の駅にターゲットを絞った。っていっても、そもそも米坂線には観光地らしき場所なんてないんだけどね(^^;
 外を見ると雨。でもなんか止みそうな気配がする。が、徹朗が天気予報を見て、降水確率70%だという。筆者の経験から、筆者の晴れ能力は降水確率を約30%軽減できる。ということは降水確率40%…。なかなかきわどい確率だったが、晴れる予感はしていた。
 違う部屋だった阿瀬見もちゃんと起きてくる。阿瀬見は時間に正確なので、安心して待っていられる♪
 ここで、新潟の路線についてちょっと説明しておこう。
 日本海側の幹線として、南側に信越本線、北側に羽越本線があるのだが、実は羽越本線の起点は新津駅であり、新潟駅ではない。従って、新潟から北に行くには一旦新津にでるか、もしくは新潟と新発田を結ぶ白新線を使う必要がある。
 今回は白新線を使うことにしたのだが、この白新線、新潟と新発田を結んでいて、「白」という文字が使われている理由がわからない。一般的な命名法を用いると新新線とかになると思うのだが。新潟のひとつ南に白山という駅があるのだが、これとなにか関係があるのだろうか?
 名前はともかく、本日最初の列車は白新線のE271系車両。115系からの置き換えが進んでいる新型の車両だ。ステンレスボディに黄緑のラインが入った、このあたりではポピュラーな車両だ。
 新潟の街はそれほど広がりが大きくなく、すぐにのどかな田園地帯が広がる。徹朗は昨日の疲れと寝不足がたたっているのか、列車に乗った途端に寝てしまった。阿瀬見もうとうとしている。筆者はひとりで流れる景色を眺めていた。ガキのころ、田園地帯で育った筆者にはあたりまえの景色だったはずだが、こうして遠くまで出かけてこないと見られない景色に変わってしまった。田んぼをみてこんなに和むなんて、当時は思いもしなかったなぁ。
 終点の新発田で今度は羽越本線に乗り換え。村上行きの列車はなんと気動車のキハ110系。言うまでもないが羽越本線は電化されており、気動車である必要はない。このあたりは115系の電車が走っているのが普通なのだが…。
 VVVF制御の新型からディーゼル気動車に乗り換えて、再び北へ。
 と、向こうに115系にしてはライトの大きな列車がいた。ムーンライトえちごである。165系のデカライト形のムーンライトえちごは夜中に新宿を出て村上まで行く夜行列車である。今朝村上まで行って、新潟に引き返してくる途中のようだ。
 坂町で下車。いよいよ米坂線に入る。米坂線は非電化区間である。今乗ってきたキハ110形が電化区間を走っている理由として考えられるのが、車庫から非電化区間に向かう途中であるという可能性である。もしかしたら、米坂線の快速べにばなに変わるのかもしれない。そう思って車両番号を記録して置いた。
 結果を先に言ってしまうと、快速べにばなはキハ110形ではなかったので、予想は外れていたのだが、だったらこのキハ、どうしてここを走っていたのだろうか。謎は深まるばかりである。
 米坂線最初の列車は白に赤のラインの盛岡系塗装のキハ40・47コンビ。キハ47の方はもともとボックス席だったものをロングシートに改造してあった。座席のプレートだけがボックス席の名残を残していた。

ロングシートに窓側も通路側もないもんだ

 さて、次、どこで降りるかが問題だった。新潟駅にコンビニがなく、キオスクも営業時間外だったため、実はまだ朝御飯を食べていない。このまま山の中に突撃していった場合、当然食料が確保できない可能性が高い。すでに十分田舎に来ており、どこで下車してもコンビニはなさそうなのだが、とにかく、食堂ぐらいある街に降りないといけない。さらに言えば昼御飯こそ確保はほぼ不可能である。朝御飯を抜くと夕御飯まで食べ物にありつけない可能性が高い。
 米坂線は基本的に山を越えていく路線であるため、街は坂町側と米沢側にしかない。
 結局、工場が隣接していて一番人口の多そうな小国に降り立った。しかし、この時0800。

食堂はまだ営業してない…

 コンビニを探してみるが、予想通りない。が、一軒の酒屋を発見。こういう地方にはよくある、パンやお菓子から洗剤、そして野菜の種までなんでも売っている酒屋さんだった。
 パンなどは需要が少ないため、腐らせないようにごく少量しか入荷していないのだが、なんとか食い物にありつくことができた。
 近くの河原で、台風6号の影響で増水している川を眺めながら食事を取る。次の列車まであと1時間以上あったが、のんびりと河原で雑談しているうちに列車が来る時間となった。三人集まればかしましとはよく言ったもので、くだらない話で時間をつぶせてしまった。いいんだか悪いんだか(^^; それにしても、雑談の内容が

飲んでいるときと変わらない

 ってのはどうかと…。
 で、一通りにぎやかそうな通りは通ったのだが、目に付くのが床屋と美容院。数件おきに店がある。駅にあった商店案内の地図で数えてみると

9/70軒=13%が床屋と美容院

 田舎に行くとなぜか床屋や美容院が多いものだが、これは驚異的な数字ではないだろうか。ちなみに、食べ物屋は居酒屋、寿司屋、ラーメン屋など全部合わせて9軒だった。というわけで、筆者の中で、小国町を日本一床屋・美容院の多い町に認定した。

 次に乗る列車はキハ52・47形コンビ。キハ52形は見慣れない車両で、現地ではどういう列車がわからなかったが、後で調べてみると、勾配区間用にエンジンを2基搭載したハイパワー形の車両であることが判明した。山田線にあるというのは知っていたが、米坂線にあるとは思わなかった。この塗装のキハ52形はここにしかないかもしれない。
 米坂線の車両はほとんどが扇風機車両で、窓を全開にしている。最近クーラー車両が増えたせいで、窓が開かない車両が多い。窓からひじを出しながら、車窓を眺めるというローカル線の醍醐味が実施できず、かなり悔しい思いをするのだが、米坂線は古き良き時代のローカル線の良さをもっている。どうしてもクーラーがいいという人には、たまにあるキハ47形の1500番台の車両がクーラー車に改造されているので、こちらを利用すべし。もっとも、本数がないので、選択の余地などないという話もある。
 小国を出るとすぐに山の中に突入する。山の木々は人の手がほとんど加わっていない原生林で、太陽を受けて鮮やかな緑が輝いている。もうすっかり雨の気配は消えていた。晴れパワーをフルに発揮している。ちなみに夕立男の阿瀬見だが、本人の名誉のために弁解しておくと、夕立男なので昼間は晴れ男だったりする。念のため。
 そんな山の中の駅、伊佐領に途中下車。

次の列車は4時間後(笑)
そしてケータイは圏外…(^^;

 伊佐領駅は緑に囲まれた自然がいっぱいの駅。自然はあるが、他には何もなさそうだ。もっとも、そういう駅を狙って途中下車している確信犯なのだが(^^;
 逆方向の下り列車を撮影するのだが、1時間以上来ないので、とりあえず駅の周辺を散歩することにした。ちょうど待合室に、「公衆電話の場所」を示す地図があり、ドライブインや食堂があることを知った。いまいち縮尺があてにならなそうないい加減な地図だったが、他に目的もないので、ドライブインがあるはずの上り方面に向かって歩き出す。米坂線はずっと国道と川沿いに走っていて、間違っても遭難することはないので安心だ。
 炎天下の中、国道沿いをてくてく歩いていく。国道の交通量は意外に多い。30分ぐらい歩いて汗だくになっても、ドライブインらしき建造物はカケラも見えてこない。地図は適当そうだったが、国道沿いを示していたので、ドライブインはもっともっと先であるような気がしてきた。

地図の縮尺にだまされた(T_T)

 予想はしていたが、これ以上遠くにドライブインがたとえあったとしても、そこからまた伊佐領駅まで帰り着く元気がない。さらに、そろそろ戻らないと上り列車が撮影できなくなってしまう。みんなもこの気温と直射日光でへばっていたので、誰も反対せずに駅へ戻ることが承認された。
 伊佐領駅付近の踏切で上り列車を撮影。踏切で撮影すると、列車が来るのがわかるので撮影しやすい。踏切が鳴ってからデジカメのスイッチを入れればいいので、心にもゆとりが持てる。
 通り過ぎるキハ47・52コンビを撮影し、一旦駅へ戻ってくる。
 そして今度は懲りずに反対側の食堂があるほうへ向かう。こちらも縮尺が適当で、一体この直線が何kmを示すのか不明である。しかも、先ほどの経験を敢えて活かすなら、めちゃくちゃ遠いことが予想できる。
 二人ともだまってついてきていたが、懲りてないのは筆者だけで、密かに二人は懲りまくっていたかもしれない…(^^;
 こちらも国道沿いに歩いていく。歩道にまで草木が迫ってきているのだが、ここにコオロギとかバッタとかがいっぱいいて、歩く先でがさがさと茂みに逃げていく。都会じゃこんなにいっぱい虫がいるなんて考えられない。あー、トカゲもいるし、アオダイショウも発見。うわ、アオダイショウなんて十何年かぶりに見たよ。
 で、やっぱり30分後、背後の二人から「もう疲れた〜、帰ろうぜ〜」という気配が強くなり、抗い切れなくなってきた。正直、また地図にだまされているのだと思うと、筆者の方も帰りたくなってきた。つーわけで、一軒のお宅まで行ったところでUターン。
 村に戻って小さな雑貨屋さんでジュースを買う。駅に自販機ぐらいあるだろうとたかをくくっていたのだが、当てがはずれて水分の補給を断たれていたのだ。汗が止まっていたことを考えると、ちょっと脱水症状になりかけていたくさいのだが、ここで水分補給をして復活。

地元のおばちゃんに学生と間違えられる

 おっかしいなぁ。全員30歳超えてるんだけど(^^;
 見た目はともかく、行動が大人げないんだろうな、きっと…。
 だって、普通の大人は、闇雲に2kmも炎天下の中を歩いたりしないからな。おばちゃんにドライブインと食堂のことを訊ねると、確かにそれは存在しているらしい。おばちゃんは車なので、大した距離じゃないと言っていたのだが、次の駅との中間ぐらいにあるということなので、軽く3kmはあるようだ。

地図は間違っていないが、距離は書いておいてくれ!

 筆者からの強い要望である。
 カメラを下げている阿瀬見を見て、写真を取りに来たと判断したおばちゃんが、名所である眼鏡橋なるものまで車で乗せていってくれると言うのだが、これまた次の駅との中間地点ぐらいにあるらしく、帰りのことを考えて丁重にお断りした。もう三人とも歩き回る体力なくなってます(^^;
 伊佐領駅で2本目の上り列車を待つ三人。汗だくのシャツを脱いで柵に干し、すっかり自宅のようにくつろぐ3人。のどかな時間がゆっくりと過ぎていく。

ぼ〜っと待つのもローカル線の楽しみのひとつ♪

 都会の早い時間の流れから開放されるってのは気持ちのいいことだ。仕事を辞めた今でも、1時間以上何もしないなんてことはない。時間があればなにかをしているものだ。まぁ筆者の場合、一所に落ち着いていられない性格のため、駅の回りをちょこちょこ散策していたりするが、それも目的があるわけでもなく、のんびりである。
 本当は食堂側の踏切のところに鉄橋があったので、そこで上り列車の撮影をしたいところだったのだが、二人から動く気力を感じ取れなかったので、撮影はあきらめた。それよりも良いことを思いついた。
 次の下り列車をこの駅でずっと待っているよりも、次に来る上り列車で一駅戻ってみるのだ。この駅はいいところだが、そろそろ飽きてきた。どうせならもうひとつ違う駅に行ってみた方がおもしろそうだ。
 早々に荷物を片づけ、列車に乗る。今度のはキハ47・58コンビだ。頭が47形だったので、あとで写真を見るまで気づかなかったのだが、2両目は急行形のキハ58形だった。く〜、気づいていればもっとちゃんと撮影したのに…。
 そのときは、果たして食堂はどこにあるのかという興味でいっぱいだったため、列車にまで気にがまわらなかったのだ。地図を信じるなら、食堂は線路から離れたところにあるので、残念ながら列車から確認することはできなかったが、国道と線路が離れる分岐点が、さっき歩いた地点よりもさらに遠いことがわかり、あそこで引き返した判断がまちがっていなかったことがわかった。いやー、地方恐るべし…。
 乗ったのはたった一駅。羽前松岡駅に到着。プレハブ小屋のような駅舎で、これまた伊佐領と同じように何もない。まぁ一駅じゃ、そんなに変わるわけないわな。
 と、この駅舎に自由ノートがあるのを発見した。普通、自由ノートというのは、何かしら名物のある駅、たとえばモグラ駅の土合、日本最南端の西大山、マンガの舞台となった飯田線田切駅などにおいてある。こんな何もない駅にまさか自由ノートがあるとは予想だにしなかった。これがまず驚いたこと。
 しかし、驚きはそれだけではなかった。自由ノート、松岡駅をよくする会と書かれたそれはなんと

平成11年と書かれている!

 いたずら書きもなく、ちゃんと今日まで自由ノートとして書き続けられている。普通、こういったノートはよっぽど管理がしっかりしていないと落書きされて台無しになったり、紛失したりするものなのだが、3年間もまともな状態で、なおかつ現在形で書き込みが続いている。
 訪れる人が少ないためか、さすがに日付がとびとびになっていて、見開きページの最初から最後まで9ヶ月も経っているページもあった。

このノートが埋まる頃、宇宙旅行も実現しているかも(^^;

 思いがけず出会ったノートに、久しぶりの書き込みをする。次回来るときまでに、何人の人が書き込んでいるのか。はたまた誰も書き込んでいなくて、次の書き込みも自分だったりして…。なーんていうのも旅の楽しみのひとつだ。
 だからこそ、落書きとか紛失とかでなくなっちゃったりすると、次に来たときにかなりがっかりすることになる。みんな、ノートは大事にしようね。
 もう二度と来ることはないかと思っていた米坂線だが、これじゃ年に一度ぐらい来たくなっちゃったなぁ。
 羽前松岡駅は当初計画に入っていなかったが、当たりの駅だった。これだから行き当たりばったりはやめられない♪
 随分とまった上り列車(キハ47・52形コンビ)に乗って、羽前松岡駅を離れ、我が家同然に慣れ親しんだ伊佐領駅を再び通って、一路米沢へと向かう。
 ここで、今度はドライブインを探す。さっき歩いたところを過ぎて、だいぶ行ったところにそれを見つけた。こちらもおおよそ3kmといったところか。場所さえ判明してしまえば、不安材料が消え、目標距離もわかるため、次来たときには歩いていけるような気がした。っていうか、次来るときには水も食料も万端整えて来るべきだな(^^;

 米沢の街並みが見えてくる。米沢駅までは行かずに、西米沢で下車する。米坂線全線制覇にはならないが、それは次回のお楽しみにしておこう。
 米沢は上杉謙信の上杉家が代々治めた土地であり、上杉家の墓や上杉神社などがある。まあ大しておもしろいものではないのだが、米沢に来て、何も見ないで帰るというのももったいないので、筆者はともかく、二人の観光のために西米沢で降りる。西米沢駅から米沢駅までの直線上約3kmにお墓も神社もあるので、歩いてしまおうというのだ。
 市内観光をしていると、だんだん雲行きがあやしくなってきた。そろそろ夕立時なので、阿瀬見の夕立能力が発動しかけているようだ。
 るるぶに載っていたしゃぶしゃぶ屋に急ぐ。米沢といえば米沢牛なので、昼飯も食い損ねたことだし、この際夕御飯はリッチに行こうということで、米沢牛のスキヤキに決定!

スキヤキなんて十何年ぶり?

 大学に入ってからは食べた記憶がない。何となく食べたことがあるような気がするが、あれは牛鍋だったような気もする。
 運ばれてきた肉には、例の狂牛病騒ぎのためか、血統書なるものがついてきた。この変わり果てた姿は「みずかみ」ちゃん(牝)のものらしい(^^;

さらに、鼻紋が押されている(笑)

 指紋みたいなものなのだろうが、鼻の先を魚拓みたいにして押しつけたものが印刷されているのだ。これはおもしろい。
 鍋が煮えた。早速肉をいただくと、柔らかくてうまい。筆者の安い舌では、気の利いた説明ができないので、うまいとしか言いようがない。ただ、米沢牛だからうまいのかどうかまでは判別できなかった。舌がやせ細りまくっているので、よくわからないのだ(^^; ただ、スジの部分が全くなく、やわらかいことだけは間違いない。
 鍋が煮えると、食べるのに夢中で会話が途切れる。会話が再開したのは約1時間後。鍋はすっかり空になっていた。ふえ〜、満足である。
 店に入った途端に降り出した豪雨も、気づけば止んでおり、すでに青空が戻っている。
 阿瀬見の夕立能力と筆者の晴れ能力ではわずかに筆者の晴れ能力が勝っているようだ。

 米沢駅で、帰りのヱビスを買い、山形新幹線に搭乗する。やはり結構混雑していて、指定席が取れてて良かった。ちなみに400系。E3系は編成がまだまだ少ないので、お目にかかれる機会も少ない。
 すっかりお疲れの徹朗は早々に寝てしまい、阿瀬見もビールを飲み終わるとうとうとしていた。

 一人旅と多人数での旅は違う。どちらがいいとか、悪いとかではなく、それぞれにいい面と悪い面がある。
 一人旅では行き当たりばったりで自分の好きにできるので自由だが、飯とかがつまらない。多人数では自分の勝手にはできないものの、おしゃべりしたり、おいしいものを食べに行ったりできる。
 今回は吾妻線、米坂線と、鉄分の多い旅だったが、何にもないという魅力を少しでも感じてくれていたなら成功なんじゃないかなと思う。
 筆者的には、高崎のカレーを二人に紹介できたのが嬉しい。これからも高崎立ち食いカレーネットワークを広げていく所存であります!(笑)


おまけ 何歩あるいたの?
1日目:22537歩=約11km
2日目:29963歩=約15km


 中央上部のライトが特徴的なキハ52形。エンジンを2基搭載していて勾配をぐいぐい登っていく。車体下にブルドーザーのような雪かきがついていてカッコイイ!
 冷房もなく、窓から自然の風が入ってくる。ローカル線の鑑ともいえる車両。
(伊佐領駅にて)

 歩き回って汗だくになったTシャツを干す。一緒に干されているのは道連れのテツロウ氏(笑)
 4時間近くこの駅にいたので、すっかり愛着がわいた。
(伊佐領駅にて)

2002.07.13-07.14