鋼鉄の愛馬と魔法の書が君を四大陸へいざなう。
知らない場所、初めての街、さまざまな出会いが軌道の先にある。
シャレてる暇はない。さあ、出発の時間だ!
第0014号
2002.04.27-04.29

2002.04.27-04.29

・最果てへのいざない 〜大湊線〜


 大湊(おおみなと)線、キハ48・40コンビ。やっぱりローカル線には汽車でしょ♪ 架線のない真っ直ぐなレールを力強く走るキハはカッコイイ。ちなみに快速しもきたはキハ100・110形。
(野辺地駅にて)

 JR東日本てっぺん、つまり最北端の駅、下北。北緯41度17分。大畑線が廃線になった今、本州最北端の鉄道駅である。
 終点の大湊駅のひとつ手前なので、最北端のためだけに下車するのには勇気がいるかも(^^;
(下北駅にて)

旅立ち前

 例年通りなら桜前線を追いかける旅の最終作戦となる「弘前城桜祭りに行こう旅」だが、今年は桜前線が平年よりも2〜3週間も早く通過してしまったため、青森ではすでに桜が散ってしまっている。現在桜前線は北海道すら通り抜ける勢いで、旭川あたりで見頃となっている。
 さすがに旭川まで追っかけていくのは難しいため、「初夏の青森」ということで青森に出かけることにした。
 が、ここで衝撃的な事実が判明した。

今年のGWは3連休パスが発売されない!

 ゴーゴー3day切符がなくなって、代わりに登場した3連休パスだが、GWは3連休じゃないからという理屈かどうかわからないが、とにかくJR東日本乗り放題の切符は発売されない。うーん、だんだん翼をもがれていく気分だ。
 こいつをあてにしていて予定すら立てていなかったのだが、これはちゃんと旅程を決めて切符を買わないといけない。どうせフリー切符がないならどこに行っても通常料金ということになるので、いっそのこと西日本のほうに行こうかとも思ったのだが、やっぱり青森にした。

人は北へ旅したくなる生き物なのだ

 松尾芭蕉の奥の細道しかり。最果てには郷愁の念をさそうなにかがあるのだ。
 もう値段についてはあきらめるしかないが、フリー切符じゃないので、旅程が3日間でなくても良いのは嬉しい。結局ゾーン切符(周遊券)「青森・十和田」を選択し、行きは新幹線+特急、帰りは夜行列車の切符を用意した。

 また、旅立つ前日にデジカメを新調した。完璧な衝動買いなのだが、SANYO DSC-MZ2という今までもっていたカメラの後継機のひとつである。媒体がコンパクトフラッシュなので、新型カシオペア2000を使ってSDメモリにデータを待避でき、ノートPCを持って行かなくて済むのではないかともくろんでのことだ。というわけで、夜行を除いても2泊3日という日程にもかかわらず、リュックひとつという軽装備を実現した。…ノートPCってかなりの大荷物なのね(^^;

4/27(土) 〜菊名〜東京〜盛岡〜青森

 今回の道連れは大学の研究室の後輩の佐藤君。2年前の東北旅にも一緒に行った。何もない駅での途中下車にもつきあってくれるいいヤツだ。ただ、あまりにも無計画ではオレはともかく、佐藤君に悪いと思って今回の旅はいろいろ予定を立てた。フリー切符ではどうしても元を取ろうとして鉄道からはなれることがないのだが、ゾーン切符ではJRバスも乗り放題の区間があるので、今回は「てつ」以外のイベントの方が多くなってしまった。

 切符をとったのが直前だったため、新幹線の指定席はとれなかった。GWなので当然といえば当然だ。盛岡まで立っていくなんてイヤなので、始発で家を出て新幹線の自由席を確保する作戦でいく。最寄り駅の菊名から横浜線の始発列車を使うと東京駅に0550ぐらいにつく。さすがにこの時間に東京駅に来られる人は限られており、例え可能であっても家を5時前に出るなんて考える人はそう多くない。しかも、GWということで、6時前後に下り列車の増発便が追加されているので、自由席を確保するのは簡単だ。ま、始発で行くってのが簡単じゃないんだけど…。
 前日、新歓があって、思わず2次会まで行ってしまったため、帰宅したのが2600。準備やらなにやらで結局2時間しか寝られなかった。控えめに飲んだため、なんとか二日酔いだけは避けられた。足りない睡眠時間は盛岡までの新幹線の中でとればいいだろう。

 横浜地方は晴れで少々雲が多い。天気予報によると東北地方では雲もなく晴れ渡るとのこと。やっぱり天気の心配はいらないようだ。そう、オレも佐藤君もものすごい晴れ男なのだ。何かするときに雨が降った記憶がほとんどない。
 最寄り駅が磯子である佐藤君とは京浜東北線の先頭車両でランデブー。時間に正確な佐藤君となら、目的の列車の車両を指定して合流するのが一番手っ取り早い。GWだからなのか座ることができなかった。
 予定通りに東京駅に到着し、もくろみ通りに自由席に並んでいる人の列はわずかだ♪ 朝飯の駅弁を買い、0602東京発 やまびこ・こまち273に乗り込む。いつもなら盛岡までしか行かないにもかかわらず、オレの好みでこまちのE3車両に乗り込むところなのだが、たまにはE2にも乗ってあげようということでやまびこの方にした。さすがにE2は揺れが少ないね。二人とも寝不足だったので盛岡までしばし睡眠。やまびこ側に乗っているため、盛岡で止まってくれる。起きたら秋田なんていう心配がないのは嬉しい♪ おやすみ〜。

 盛岡駅に到着。うー、よく寝た☆

って、盛岡ついてまだ0830だよ(^^;

座るために思いっきり早い新幹線に乗ってしまったため、こんな時間に盛岡についてしまった。うーん、新幹線恐るべし…。
 ホームへ降りると少しひんやりとした空気。すでに桜前線が通過したとはいえ、東北の朝はまだ寒いようだ。もちろん、そう予想して二人とも冬用の上着を着ているので全然大丈夫。
 青森まで行く1019盛岡発の特急はつかり5号の指定席はとれているのだが、あと2時間待つことになってしまう。はつかり1号は新幹線の到着と同時に出てしまっているため、次の列車は指定がとれなかったスーパーはつかり3号、0928盛岡発青森行きだ。そのホームを見るとまだ自由席に並んでいる人はいなかった。並んでしまえば意外と座れてしまうかもしれないとたくらむ。
 なんにしてもまだ時間があるので盛岡駅前を探検しに行く。思えばこの駅、乗り継ぎにはたくさん使ったことがあるものの、駅の外に出たことが一度もないのだ(^^;
 駅から出て本能の赴くままにメインストリートへ。まだ時間が早いため開いている店がない(^^; コンビニやミスドなどが確認された。さーて他には…と思ったら

メインストリートは100mで終了…

 短い…。これが街の全てではないだろうが、盛岡って意外と何もないという評価になった。どちらかというと駅ビルの中の方が店が充実していた。そこの本屋で青森版のるるぶを入手する。詳細な地図が載っているので、もう迷う心配はない。一昨年版の東北るるぶを廃棄処分として軽量化もバッチリ完了。
 ホームに戻るとそろそろスーパーはつかり3号の自由席の列ができあがっていた。ここで、スーパーはつかり3号の自由席の禁煙車両が1両しかないことが判明。6両編成って結構短いのね。それでも何とか席に座ることができた。
 スーパーはつかりはE751系車両だ。いつもなら桜前線旅行の目的地は弘前であり、秋田経由で行ってしまうため、はつかりを利用する機会は実は少なかった。このE751系に乗るのも初めてだ。はつかりは盛岡−青森間であるため、盛岡駅では折り返し運転となる。発車まで時間があるので撮影に出かける。
 戻ってくると自由席の乗車率が軽く150%を超えていた。スーパーはつかり3号に接続するやまびこ・こまち3号の客が乗り込んできたからのようだ。ちょうどいいタイミングで自由席に座れたんだなと感心する。天気も運もオレらの味方のようだ♪
 青森までは2時間の旅。特急の最高時速は130km/h。新幹線と比較するとだいぶ遅い。青森が意外と遠いのはこの区間に新幹線がないからなのだ。しかし、ここも

今年の12月に八戸までだが東北新幹線が延伸する。

八戸−函館間には新しい特急が生まれる予定で、八戸新幹線とこの新特急の愛称を公募しているところだ。これに伴い、盛岡−八戸間は第3セクターと思われる2つの会社に移管される予定らしい。ということは、はつかりがこの区間を走るのは今年で最後ということになる。なくなる前に乗ることができてよかった。
 これが最後かと思うと眠る気にはならず、ずっと車窓を眺めていた。併走している新幹線の線路はもうほとんど完成しているように見える。来年からはここを新型新幹線車両が260km/hでかっ飛んでいくことになる。便利さと新しい可能性をつれて登場する新車両、そしてひっそりと表舞台から去っていく従来路線と従来列車。嬉しいような寂しいような複雑な気分だ。
 青森着は昼前だが、朝飯が早かったため昼飯も早めに取る。盛岡駅で買った駅弁「海鮮小わっぱ」はウニ、いくら丼みたいな駅弁だ。ウニは生ウニではなく、ちょっと火が通っている。生ウニよりも味がはっきりしていてうまいと思う。どうも生ウニはたくさんは食えない。いくらもうまかった。車内で飯を取ったため、青森についてすぐに移動ができる。移動時間を上手に利用するのはたびてつの基本だね。
 青森に着いたら市営バスの乗り場へ。目的地は三内丸山遺跡だ。縄文時代の遺跡で、巨大建造物跡が発見されたことで一時期かなり騒がれたので、聞いたことのある人も多いことと思う。
 値段は片道330円ということだが、バスを待っている間に一日フリー切符500円というポスターを発見する。往復したらフリー切符の方がお得という簡単な計算だ。こんな切符作っちゃって儲かるのかと余計な心配をしつつ購入。
 遺跡は終点にあるのだが、これがかなり街から離れている。バイパスのようなところを通っているので、距離もかなりあると思われる。着いたときに乗っていたのは自分たちの他には二人だけ。だいたい遺跡には学生ぐらいしか来ないものだ。GW中ではその学生もいないのですいてるのだろう。
 三内丸山遺跡の入り口はまだ工事中で、重機がおいてある。駐車場もいかにも仮です、という感じの物だ。うーん、もしかしてはずれなのかぁ? かなり心配になったところで、とどめと言わんばかりに目に入ってくるプレハブの建物。どうやらこれが中央の建物らしい。

有名なのにこんなにしょぼいの?

佐藤君がいる手前、口に出しては言わなかったが、かなり拍子抜けする。
 わずかな希望を持って遺跡に入っていくと、その希望も絶望へと変わった。野球場ぐらいの広さの野原に転々と復元された住居と、ニュースになった巨大建造物が建っている。確かに建造物はでかいのだが、やっぱりしょぼい。
 白いテントというかドームというか、変わった建物があって、こちらは発掘したままの状態を保存するためのもののようだ。ドキドキしながら入ってみると、こちらは結構まともな展示。ドームの中にはエアコン完備で、巨大建造物の柱跡に残っていた木の部分が腐ったり乾燥してしまったりしないようにきちんと管理されているようだ。やるべき事はやっているようでひとまず安心する。他のドームもやはり発掘したままの状態が保存されており、いわゆる貝塚のような盛り土の様子がよくわかる。復元された住居は説明文がいまいちだったが、集落の中心にある大きな住居はなかなか立派な物だった。一回りしてだいぶ動揺もおさまってきた(^^;
 だいたい遺跡の復元なんてものはどこもあまり大したものではないので、まあこんなものかという程度の評価まで回復した。しかし、博物館の建物の小ささがまたまた不安にさせてくれる。
 普通、この手の博物館なり資料館というものは入場料を取られるのが普通なのだが、三内丸山遺跡は全てタダ。資料館のなかに入ってみると展示はかなり急ごしらえだ。とにかくたくさんの土器や矢尻などがガラスケースの中にところ狭しとつめこまれ、ほとんど説明も付いていない。順路もきちんとしていないため、いまいち展示の意図がくみ取れない。説明パネルも日本語ばかりで、英訳されたものがほとんど見あたらない。
 きちんとしていたのは、この遺跡のもうひとつの目玉である「日本最大級の板状土偶」。これはきちんとしたケースに入っていた。
 そして縄文遺跡の資料館の定番である、「粘土に縄の跡をつける」「火をおこす」「石器を使ってみる」「縄文の服を着てみる」の体験コーナーがあった。とりあえず一通りはそろっていて、これが無名の3流遺跡ならば納得できるレベルではある。しかし、ここは日本でも有数の縄文時代の遺跡である。期待していたものとの差があまりにも大きく、とうてい納得できない。
 ちょうどビデオの上映が始まるので、とりあえず見てみる。こちらの内容はなかなか要点を押さえていて、わかりやすくて良かったと思う。
 三内丸山遺跡の最も重要なところは「縄文人はここに千年にも渡って定住していた」ことと、「縄文人の文化レベルはかなり高い」の2点だ。どちらも従来の「狩猟生活をしながら転々としていた原始的な人類」という縄文人の定説を覆すものだ。
 そしてビデオの最後には「現在も発掘物の整理、調査、研究が行われている」とあった。
 ここで、ようやくこの遺跡がしょぼい理由がわかった。そう、この遺跡、巨大建造物の発見があってからまだ数年しか経っていないため、膨大な出土品の整理がまだ終わっていないのだ。
 土器の破片は記録を取りながら、足りない部分は石膏で補って復元しないといけないし、年代の特定にも時間がかかる。交易でもたらされた品についてはどこから運ばれたものかを特定する。
 こういう調査は1年や2年で終わるものではない。
 めぼしい物についてはあらかた調査が終わって、ようやく展示できるような状態になっているものの、遺跡全体としてどのような展示をするかという大局はまだ決まっていないというところだろう。

つまり、博物館としてはまだ未完成ということ

 あちこちに重機がおいてあることから察するに、ようやく予算がついて遺跡の保存、博物館の建設が本格的に始まったという段階ぐらいだろう。完成するにはあと数年の時間が必要なようだ。またできあがったら来てみよう。
 ようやく納得し、安心したところで青森駅に戻る。
 遺跡を見た後で街を見ると、あちこちで三内丸山遺跡をアピールするポスターがあることに気づく。青森駅の郵便ポスト、数年前に来たときには確かリンゴの像が乗っていたように記憶しているのだが、今は三内丸山遺跡の巨大建造物の像になっている。
 青森名物のリンゴジュースの缶にも、従来のねぶた缶に加えて遺跡缶が登場していた。
 街として遺跡を全面に押し出してPRをしていこうという姿勢がうかがえる。立派な博物館ができたら結構化けるかもしれないなぁ。

 遺跡が思ったよりも早く見終わってしまったので、しばらく青森の街をぶらぶらしてみる。2年ぶりなので、あちこち様子が変わっている。一番大きく変わったのは、メインストリートに図書館ができたことだ。地下は食料品売り場になっており、買い物ついでに利用してほしいという、従来の図書館とは違った考えが見て取れ、非常に興味深い。おもしろそうなので中に入ってみると、難しい本からマンガまで、かなり幅の広い、悪く言えばごっちゃまぜに棚に並んでいる。たとえば自然科学の宇宙の棚に、ウソくさい新書サイズのSF読み物がおいてあったり、パソコンの棚に「できるEXCEL」なんかが一緒においてあったりという具合だ。これが使いやすいかどうかはかなり疑問なのだが、とりあえず飽きないという点では評価できる。ジャンル分けがかなりアバウトで、ダブっているようなところもかなりあって、本が見つけにくいのだが、あちこちにおいてあるパソコンによりその辺の検索ができるようになっている。タッチパネルで操作でき、パソコンがわからないお年寄りや子供でも使えるように配慮されているのはよい。
 雑誌コーナーには市の広報から、衝撃的なことにアニメ雑誌までおいてある。マンガコーナーにあるのは「三国志」や「はだしのゲン」とかではなく、ジャンプなどのコミックがおいてある。うーん、良い悪いをつけるのは難しいのだが、「みんなの図書館」にしたいという意図は強く感じる。誰も来ない難しい図書館より、みんなに愛される図書館を目指しているような感じだ。
 個人的には駅の近くにあるということが、とてもいいことに思う。街のはずれの静かなところに建っていて、「よし、図書館行くぞ!」と気負って行くような図書館よりも、「ちょっと図書館寄って行くか」と、買い物に来たついでに寄れる図書館の方が便利だ。こう例えるのが適切かどうかわからないが、インターネットにモデムでつなぐのとつなぎっぱなしADSLみたいな感じだ。
 オレの目には青森はかなり魅力的な街に映った。

 さて、青森駅に戻ってきて次なるイベントは「さくらエクスプレス」の見学・撮影だ。時刻表を見ていて発見した季節限定の特別列車だ。今日からGW中、札幌−青森を結ぶ。どんな列車なのかわからなかったが、リゾート気動車と書いてあり、全席指定とあったので、レアなのではないかと踏んだのだ。
 列車の入線時間が近づいても「てつ」らしき人は数えるほどしかおらず、それほどレアな車両ではなさそうだ。
 古い列車が入ってくると思っていたら、意外と新しい車両が現れた。キハ183系という初めて見る車両だ。キハなので電車ではなく汽車である。リゾート気動車というだけあって、かなり高級な造りになっている。各車両はハイデッキで広い窓になっているため、景色は堪能できそうだ。また中央にはビュッフェらしき車両もある。

例えるなら汽車版スーパービュー踊り子。

 一通り撮影し終わった頃、ED79を連結して出発していった。

 まだ日が暮れていないが、本日のイベントはこれですべて終了。明日は青森駅からJRのバスで十和田湖に向かうので、今日の宿は青森だ。朝が早かったので今日はもうホテルに行く。
 コスト重視で適当に選んだホテルは駅からかなりの距離があった。なかなかホテルが見えてこないので、迷ったかなぁと心配になってきたところで、オレも佐藤君もだんだん「???」という顔になってくる。
 ホテルが遠い、なーんか迷ったような気がしてくる、とそのとき目に入る役所らしき建物、先に見えるNTTのアンテナ…。なーんか、以前にも同じような景色を見て、同じような会話をしたような気がするぞ…。

二人同時にデジャヴ!?

 …ではなく、本当にあった出来事だったのだ。
 そう、そこはオレと佐藤君で2年前に青森に来て泊まったホテル。何の気なしに宿帳からチョイスしたホテルが、2年前と同じという偶然。2年前はホテルを通り過ぎてしまって結構迷ったので、通りにも見覚えがあった。
 2年前、ホテルが駅から遠かったために、目的の列車に乗れなくて、バスで追いかけるハメになった、あのホテルである。旅日記の3で、ローカル線の恐ろしさを思い知るってところで言っているのがこのホテルなのだ。
 いやー、はからずともイベントをひとつ追加してしまったなぁ(^^;
 あるんだねぇ、こんなことも。

 夕御飯は、昼間、遺跡行きのバスから見つけた、サッポロビールのレストラン。駅の方なので、ホテルからはかなり遠いのだが、「ヱビスの生がきっとある」と信じてがんばって行く。サッポロビールの直営店らしく、工場から直送された生ビールを出す店だった。もちろん、予想通りヱビスの生が飲めた。

なぜかヱビスが他のビールより10円安い中ジョッキ480円

 とっても不思議だが、一番飲みたいビールが一番安いので気にしないことにする(笑)
 疲れていたのか、宿に着くと布団もかぶらずにベッドに倒れ込んだ体勢のまま寝てしまった。


 E751系スーパーはつかり。盛岡−青森間を約2時間で結ぶ。新幹線が八戸まで延伸したらはつかりとスーパーはつかりはどうなってしまうのだろうか。485系はつかりは青函トンネル通れるし、E751も追加装備をつけると青函トンネルに対応可能らしいので、函館まで乗り入れるのかな?
 新幹線が八戸まで延伸したら、JR北海道が新たに特急車両を導入するらしい。
(盛岡駅にて)

 正面の電光表示板にはノースレインボーEXPと表示されているが、今日からGW期間中、特別列車「さくらエクスプレス(リゾート気動車)」として走る。キハ183系。各車両ごとにラインの色が異なり、まさしくレインボー。
 初めて見る車両だと思って調べてみたらJR北海道の列車らしい。道理で見たことないわけだ。色は虹の色ではなく北海道の5つのテーマカラーだそうな。
(青森駅にて)

4/28(日) 〜八甲田山〜奥入瀬渓流〜十和田湖〜青森

 青森二日目の朝。手加減なしの晴天だ。今から夏が恐い(^^;
 2年前の教訓を生かし、少し早めに宿を出発する。人は成長するのだ(笑)
 今日の朝一は0730八甲田ロープウェイ駅行き。最終的には十和田湖を目指す。交通手段はJRバス。

「たびてつ」なのに今日は列車なし(^^;

 といっても、このJRバスはゾーン券に含まれているため、全て乗り放題だ。
 本当は0750のバスに乗れればいいと出発したのだが、始発の0730に乗れた。
 今日は奥入瀬渓流を歩く予定なので、極力荷物は減らしておく必要がある。不要な物はコインロッカー行きだ。バスの時刻表と遊覧船の時刻表は昨日GET済みなので、

惜しみつつも時刻表もコインロッカーへ。

 時刻表はかさばるが案外軽いので、カバンはそれほど軽量化されない。何でも入ってることが自慢のカバンは基本的に重いのだ(^^;
 八甲田山ロープウェイ駅までは約1時間の道のりだが、その途中で何度か休憩時間がある。路線バスとは思えない…。
 最初は雲谷と書いて「もや」と読む、青森市街を見下ろす山の上で一休み。ここにあるホテルの客を拾うためだ。ぽつりとある割に標高が結構あるため、青森市街を一望できる。ホテルの上の階からはさぞキレイに見えることだろう。もちろん、そんな高そうなホテルに縁がある二人ではないが(^^;
 南西の方角には朝日を受けて輝く白い岩木山が見える。そして発見。三角ビルの愛称で呼ばれる、アスパムはここからでもよくわかる。
 次なる休憩地点は萱の茶屋。ここではお土産屋に横付けされる。そして店の前には麦茶が用意されており、好きに飲んでよい。これは「飲んだら何か買わないといけないような気にさせる」作戦に違いない。気分はすっかり観光バスだ。

まんまと罠にかかって五平餅を所望する。

 茶屋からロープウェイ山麓駅まではほんの数分で到着。バスを降りるなり目に飛び込んできたのは雪景色と、列をなすスキー客。桜が散ってしまったこの時期に春スキーのできる場所は限られるので、スキーヤーが集まってくるのだろう。
 八甲田山と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、雪中行軍の悲劇的エピソードだという人は多いと思うが、そのイメージ通りにこの連峰は雪が深いようだ。
 ロープウェイの始発が0900なので、あと40分ぐらいあるのだが、すでに並んでいる人の数はゴンドラに乗りきれないほどだ。いくら冬服を着てきたとはいえ、ここまでの雪景色に出会うとは予想していなかったため、スキー場にいる服装としてはかなりナメた格好をしている。寒いし混んでいるので、めげて帰ってしまおうかという考えが一瞬脳裏をかすめるが、そう都合良くバスも来ないのであきらめて列に並ぶ。絶対1回目じゃ乗れないよ(^^;
 そうこうしているうちに列がどんどん長くなって収集つかなくなってくる。みんなちゃんと並べー。
 春スキー客対応のため、20分早く運転が開始される。予想通り、うちらは最初のゴンドラには乗ることができなかった。次のゴンドラに乗ろうかというところで、青森駅0750発のバスが到着する。が、すでに列は待合室の外まで伸びてしまっている。

このバスに乗ってたら、八甲田山は素通りしたかもね(^^;

 ま、それは大げさかもしれないが、そのぐらい混んでいるという事だ。
 ゴンドラの車体(?)に定員100人と記述されているが、フル装備の春スキーヤーを満載するととても100人はムリだ。しかし、改札をしてしまった人が全員乗らないと動かさないつもりらしく、結局全員を無理矢理押し込んでロープウェイが出発する。
 ゴンドラの上半分の窓が開いているため、そこに立っている佐藤君の顔面に冷たい風が直撃する。こういうときは背が小さいことを感謝せずにはいられない。よっぽど寒いのか、佐藤君の会話が途絶え気味だ。

しっかりしろ! 寝たら死ぬぞ…

 でも確かにこれは寒いかも…。
 山頂駅の気温は2度。まあプラスなだけましか。少し霞んでいるが青森の街も見ることができる。がんばって目を凝らすと、なんとか三角ビルことアスパムを見分けることができる。
 八甲田山は雪で白いのだが、麓には緑が広がっていて、ここにも春が近づいているんだなぁと、ちょっと感心する。そんな風景を眺めながら、先ほど買った五平餅をいただく。もうすっかり冷めてしまっていたが…。
 ロープウェイがあるのは田茂萢岳(たもやちだけ)。八甲田とは連峰を指し、八甲田山といえば通常「大岳(おおだけ)」の事だ(ロープウェイアナウンスの受け売り)。そして雪中行軍のエピソードの舞台となったのは前嶽(まえだけ)である。田茂萢岳の山頂からはこれらの山がよく見える。
 頂上にちょっとしたハイキングコースがあるというので一周してみようと繰り出してみたが、雪で標識も道も見失い、遭難しかける。ま、普通は徒歩でスキー場に入るなんてことはしないのだろうが、そこは普通でないオレ達、通常装備のままでスキー場を行軍してしまった。さすがに徒歩は厳しく、まさに雪中行軍だ。
 頂上にはそう長い時間いなかったが、景色はバッチリ堪能した。やはり山の上は晴れると気持ちいい。
 客がほとんどスキー客なので、ロープウェイで戻る客はホンの数名だけ。やはりナメた服装をしたおばちゃん達と、下りのゴンドラで山麓駅へと戻る。反対ホームではまだまだスキー客の混雑が続いていた。
 予定よりも一本早いバスで、再び十和田湖を目指す。ここからバスは温泉地帯を通っていくのだが、両脇には高さがバスの半分ほどもある雪のガードレールが続いている。例年より暖かい今年ですらこの状況なのだから、いつもの年ではバス以上の高さがあるのだろう。事実、この高速道路は冬の間閉鎖され、今月の初めにようやく通行できるようになったものだ。
 次の休憩所の谷地温泉でも雪がある。さすがに心配になってきたので、運ちゃんに奥入瀬渓流に雪があるのかと訊ねたところ、「ぜんぜん大丈夫」との事だった。
 それを聞いて安心したわけではないのだが、ついカーブに揺られて寝てしまう。目覚めたのは次の休憩所「蔦(つた)温泉」。
 ここであたりを見渡してみると、雪などどこにもあらず、水仙の花が咲き誇り、散り残ったしぶとい桜が最後の花をそよ風に散らしていた。

いつの間にか季節は春!

 一気に季節が変わってしまい、寝ていた二人は完全にタイムスリップ状態(^^;
 いやー、青森は不思議がいっぱいだ♪

 バスは新緑の中を進んでいき、奥入瀬渓流沿いの道を登っていく。奥入瀬渓流の入り口からだと、十和田湖まで13kmあるため、途中のバス停からハイキングを楽しむことにした。バス通りが奥入瀬渓流に沿って走っているため、目的地で降りたり、疲れたらバスに乗ってしまうというのもひとつの選択である。
 オレらが降りたのは、ちょうど見所がいっぱいある馬門岩というバス停。青森からの運賃は軽く2000円を超える。フリー切符だとこういうときに助かるんだよねぇ。
 ここから約10km、徒歩で十和田湖を目指す。
 10kmと聞いてビビる人もいるかと思うが、奥入瀬渓流の奥入瀬とは「奥に行くほど瀬が多くなる」ことから名付けられており、普通の渓流と比べてかなり浅く、流れも遅い。つまり、高低差が少ないのだ。さすがに山道の10kmだと大変だが、平地の10kmならば2時間ちょっとでたどり着ける距離だ。
 渓流の横に遊歩道があり、もちろんここを歩いていくのだが、その隣にすぐ車道があり、マイカーとバスが行き来するため、自然のど真ん中、ということにはならない。しかし、それを差し引いても十分おつりがくるぐらい、周りの自然は美しい。特に新緑の鮮やかさは言葉には言い表せない。
 奥入瀬渓流一帯はブナの原生林だ。遊歩道以外、人の手がほとんど入っておらず、雪の重みで倒れて朽ちた木や、こけむした岩、そして多く見られるシダ植物のために、恐竜時代を思わせる風景だ。ちょうど芽吹きの季節であるため、くるくるとゼンマイ状をしたシダ植物の芽があちこちで見られる。夏になると鬱蒼とシダが茂るのだろう。そして秋にはブナの紅葉が見られるはずだ。
 遊歩道はできるだけ自然を壊さないように作ってあるようで、道の真ん中に木が生えていたり、倒れた木が道を半分ふさいでいたりする。セメントやアスファルトなどの舗装も最小限だ。
 10kmの道のりの途中にはいくつか名所があるのだが、「〜の流れ」とか「〜岩」については、何が名物なのかよくわからない(^^; 「滝」だけは「おお、滝だ」と思うんだけどねぇ。滝は現在地を知る目印にもなるので、滝についたら地図を見よう。案内板の出ているいわゆる名所でなくとも、渓流と森はそれだけでも綺麗で見ていて飽きない。
 途中、崖が崩落している箇所があったのだが、

看板に書いてあるのはたった一言… 「落石」

いや、落石なのは見ればわかるんだけど、この看板をみて一体どうしろと言うのか…。うーん、不思議青森(^^;
 途中、一箇所しかないトイレに寄る。さすがにこれだけの自然があると、その辺でするのはマズいだろうという考えになる。非常事態ならば仕方ないが、きちんとトイレに行っておくことをおすすめする。
 トイレ休憩ついでに、近くの倒木の上でお弁当を食べる。

ま、弁当といってもコンビニのおにぎりだがな!

 十和田湖に向かって歩いていくと、最後の見所になるのは「銚子大滝」だ。奥入瀬渓流の滝は水量が少ないために細くて綺麗という感じだが、銚子大滝だけは迫力がある。土地の隆起により、川そのものに段差が生じており、川全体が滝になっているのだ。何はなくともここだけは見ておいた方がいいだろう。
 銚子大滝を過ぎれば、十和田湖まではもう一息だ。ただ、ここでちょっと時間的に厳しくなってきた。気にしているのは十和田湖の遊覧船の時刻だ。
 この川をたどって十和田湖に出た、子の口(ねのくち)というところから、十和田湖を横断して反対側の休屋まで遊覧船が出ている。休屋のバスターミナルから青森に戻ろうとしているため、遊覧船に乗れないとちょっとやっかいだ。
 そろそろ子の口に着くはずなのだが…、そう思ってから10数分経つ。あたりの景色は相変わらず綺麗なのだが、いっこうに湖が近いことを示す景色の変化が見られない。そのうち遊覧船の出発時間まであと10分と迫ってくると、さすがにヤバイと思い始める。ちょっと昼休み長すぎたかな?
 しょうがない、ちょっと短縮するか。駆け足〜!
 少しばて気味の佐藤君にムチを入れて走る。3分走って、まだ十和田湖の気配なし。「意外と距離があるのか?」だんだん疑心暗鬼になってきて、一旦駆け足をやめる。「こりゃぁ間に合いそうもないなぁ。どこにあんだよ十和田湖」と思った瞬間、カーブの先に十和田湖が見えてきた。しかも目的の遊覧船の姿も見える。まだ接岸してる!

まだ乗れる! 走れ佐藤君!

 すでに時間は出発時間まで3分を切っている。切符を買う必要があるため、かなりアウトぎみなタイミングだが、可能性がないわけではない。いざとなったら

切符を買っている間は、オレが船を止めてやる!

ぐらいの気持ちでいた。
 最後の階段を駆け上がり、遊覧船が全貌を現す。すでに乗船は完了しているように見える。船を見ながら走るオレ達を見て、船員が小屋を指さす。「切符はそこで売ってるよ」と言っているのだ。しめた、オレらが切符を買っている間は出航を待ってくれそうだぞ。
 息を切らし、汗をぬぐうこともせず、握りしめた切符を船員にもぎってもらって無事乗船。何とか戦いに勝利することができたが、

何をしてもイベントがついてくる!

 いやー、オレも佐藤君もこういう強運(?)には恵まれてるよな。何事もなく終わることはできない運命(^^;

 運動不足で息が整わないが、まずは売店で生ビールを調達する。走ったおかげで暑くてしょうがないので、客席を通り抜け、甲板へ出て乾杯! うめーっ!
 船尾甲板はものすごい風で、汗が一気に冷めて今度は一転して寒さに震える。船のスピードはかなりのもののようだ。慌てて上着を着て船室へ引っ込む。
 10km歩いて走って、そこにビールなんかを入れたものだから、一気にまわったのか佐藤君が寝てしまった。仕方がないので一人で2階の甲板へ出て、観光案内の船内放送に耳を傾ける。
 十和田湖は世界的にも珍しい「二重式カルデラ湖」だ。まず最初の爆発でカルデラ湖ができる。さらにもう一度爆発が起きて、カルデラ湖のなかにカルデラ湖ができたものが二重式である。二重といっても、ドーナツみたいになっているわけではなく、中湖の一辺は外側の湖とつながっており、入り江のような形になっている。この中湖のもっとも深いところ、つまり2回目の爆発の起きた火口にあたる部分の深さは330m、東京タワーがおさまってしまうぐらいの深さがあるということだ。ものすごい深さだ。カルデラ湖はだいたいそうだが、この十和田湖も水の透明度が高く、湖面の色も鮮やかなブルーだ。
 遊覧船は中湖の両側の、入り江を形取っている2つの半島に沿ってすすみ、中湖の中心でぐるっと一回旋回する。子の口から休屋まで約1時間、アナウンスを聞きながら湖上の旅を堪能する。
 うーん、十和田湖、あんまり見るべきところはないかも。ここはやっぱり紅葉の季節がいいのかな。芦ノ湖とあまり変わらないような(^^;

 休屋の桟橋からすぐにバスターミナルは見えた。バスの時間まで時間があるので、土産物屋をのぞくと、以前から欲しかった南部鉄の風鈴が売っていた。当然鉄製であるため、そこそこ重量があるのだが、あの澄んだ音色は夏の暑さを中和してくれる。展示されているものを鳴らしてみて、一番気に入った「四重奏」なるものを購入。大きさの異なる4つの鈴が、それぞれの音程を奏でるというもので、なかなかよい。1.5kだったのだが、これは安いのではないだろうか。
 腹も減っていたので、そばをかきこむ。炉端で焼いていて、つい所望してしまったきりたんぽ焼きもうまかった♪

 で、青森行きのバスで一気に青森へ向かう。さすがに疲れて、あっという間に爆睡。気づくと青森市内に入っていた。
 今日の宿は、昨日見つけた激安のビジネスホテル。

っていうか、昨日入った飲み屋の上(笑)

 一晩4800円は、ビジネスホテルにしては格安。少々部屋が狭いような気がしないでもないが、フロントで機材を借りるとブロードバンドでインターネットに接続できてしまう。ビジネスマンには都合が良さそうなホテルだ。もちろん、昨日泊まった宿よりも駅に近い(笑)
 本日の夕御飯は昨日と同じ店。普通は同じ店になんか行かないのだが、同じビルであるため、割引券がついていたことと、もう歩き疲れて遠出する気がなかったのだ…。昨日と同様にヱビスを飲み、昨日とは違うつまみで腹を満たした。
 明日も強行軍なので、とっとと寝る。
 ちなみに、佐藤君はインターネット接続を試みて、接続に成功したとのこと。


 眼下に広がる季節のグラデーション。まだまだスキーのできる雪の八甲田山だが、山麓には緑が広がり、春が確実に近づいている。遠くに青森の街と陸奥湾が見える。
(八甲田山ロープウェイにて)

 新緑がまぶしい奥入瀬渓流。うっすらと浮かんだ汗にそよ風が心地よい。すぐそこに車道もあり車からでも楽しめるが、ここは是非歩くことをおすすめする。渓谷といってもアップダウンはほとんどないので自転車もあり。
(奥入瀬渓流遊歩道にて)

4/29(月) 〜野辺地〜大湊〜尻屋岬〜恐山〜大畑〜大間崎〜上野〜菊名

 さあ、今日は『てつ』の旅である。
 朝一番の列車で野辺地へと移動する。本州最北端の駅を擁する、大湊線を制覇するのだ。
 大湊線は非電化であり、主力はキハ40,48のコンビ。色は白地に赤のラインの、いわゆる『盛岡色』というやつだ。そして快速しもきたとしてキハ110系が走る。110系の色は他のと一緒。110系って地域限定色ってないんだろうか?
 大湊線は海沿いを走っており、左側の窓の景色が美しい。防砂林はところどころ切れており、陸奥湾の向こうに青森の街が見える。いやー、それにしてもまっすぐな単線は気分いいなぁ。架線もないし。空は青いし、海も青い。
 ああ、言い忘れたけど今日の天気は晴れ。雲ひとつない快晴というやつである。手加減してほしいような、して欲しくないような(^^;
 途中の陸奥横浜駅は、横浜町という名前で、横浜市民としては非常に気になる駅である。

町の名前が同じというだけで、妙に親近感がわくなぁ

 横浜町は菜の花畑で有名なところであり、車窓からも黄色と緑の鮮やかなコントラストが楽しめる♪
 今回、下北半島をレンタカーでまわろうという企画であるため、残念ながら途中下車なしで、終点の大湊まで行く。

しかし、本州最北端の駅はそのひとつ手前の下北駅である(^^;

 本来なら途中下車するべきなのだが、あと一駅のために途中下車して時間をロスしたくない。我々のとった手段は、終点の大湊でレンタカーを借りて、車で下北駅へ戻るというもの。

「てつ」にあるまじき行為なり! とのおしかりはもっともである

 つーわけで、速攻で大湊線を制覇し、車でのしもきた半島制覇にでかける。
 レンタカーはホンダのCAPA。なりが小さい割には内部が広く、車高も高いため、体のでかい佐藤君も十分収容できる♪ 最後に車を運転してからどのぐらい経つだろうか。年の単位で昔だったような気がする…(^^; しかーし! 下北半島の交通量は少なく、信号も町を出てしまえばほとんどお目にかからない。
 実はこの下北半島、大学の時に一度自転車で訪れたことがある。
 本州最北端めざして、一週間のチャリの旅だった。このとき、あまりに車と出会わないので、遭難したのではないかと何度も心配したものだ。…コンビニなくて困った記憶も(^^; あのときは太平洋側を通ったので、大湊線は見ていないんだけどね。もっとも、そのころはまだ『てつ』じゃなかったけど。
 運転を思い出しながら、下北駅へ戻って本州最北端の駅を制覇。
 北海道はでっかいどう!というキャッチフレーズがあったが、青森も十分でっかい。ここから一気に北上して、半島の東側の岬、尻屋崎へと向かう。
 信号もなく、道もきれいでドライブするには申し分ない。都会を走るのはお断りだが、こういうところならば運転するのは楽しい。田舎を走っていると、その昔、車で日本全国を回ったバイトが思い出される。今思えば、オレの旅好きを決定的なものにしたのは、あのバイトだったかもしれない…。
 距離はあるが、さほど時間はかからずに尻屋崎が見えてきた。と、そこでいきなりの渋滞。なにやら路上駐車している車がたくさんある。いくら交通量が少ないっていっても、そこまで止めなくてもいいのに。近くに駐車場もあるんだから…。ちょっと憤ったが、すぐに渋滞の原因に気づいた。
 道のすぐわきの牧草地に馬がいるのだ。ただの馬ではない。でかい、とにかくでかい。寒さの中で立つ馬と書いて寒立馬(かんだちめ)である。このあたりの農耕馬で、厳しい冬の時でも放牧されている強い馬である。でかいと感じさせるのはその背丈ではなく、ドラム缶のような太い胴、それを支える頑丈そうな脚、顔なんかよりもずっと大きな蹄。サラブレッドをマラソンランナーの体型とするなら、寒立馬はボディビルダーである。

一言でいうなら、ラオウの乗ってる馬

 見た目はごついが、おとなしい馬で、人に囲まれても何ごともないように草を食べている。この食べ方がまた豪快だ。むしゃむしゃとかじゃなく、ばりばりという音を立てて牧草が食べられていく。まるでブルドーザーのように、寒立馬の通った後には草がなくなっていく。
 いくらおとなしいとは言っても、万が一怒らせて蹴られようものなら確実に死ねる。皆がそう思っているらしく、一定の距離を開けて観光客が取り巻いている。寒立馬の迫力と存在感を楽しんだ後、灯台へ。
 尻屋崎は、本州最北端の大間崎に比べると知名度は低いのだが、景色などは尻屋崎の方が上である。小高い岩の上に立つ真っ白な灯台。荒涼とした岩場にわずかに緑。海猫の鳴き声。このいかにも北国という雰囲気がすばらしい。最果てという言葉が似合う。

津軽海峡冬景色が頭の中で無限ループする

 灯台を見上げながら、潮騒を聞いて最果てを味わった。
 次は恐山である。下北半島のちょうど中心にあり、大間崎へ向かう途中で寄り道する形になる。山であるため、自転車で来たときには避けたので行ったことはない。
 平坦な土地から山道へと入っていく。と、恐山に行く途中に峠を通過。下り坂で恐山に向かうというのは何か不思議。
 ついに山が終わり、火口らしきところに降りてきてしまった。その瞬間、車内にいてもわかる強烈な硫黄臭。
 道の脇に池のようなものがあるのだが、硫黄ガスが吹き出ており、まるで沸騰しているお湯のようだった。池の脇には湯ノ花を採取するお手製の湯ノ花畑がある。ちょうど家で使っている湯ノ花が尽きかけていたので、この湯ノ花を購入する。いわゆる温泉地に売っている、OEMっぽいものとは違い、いかにも本物っぽいところがよい☆

 恐山は山ではなかった。周りに広がる外輪山、真ん中に広がる恐山はその火口にできた場所だった。荒涼とした風景は、火山活動によって作り出される死の谷そのものだった。恐山という名前から、草木もない山を登った上に河原みたいなところがあると思っていたのだが、それは大きな間違いだった。
 ここが霊山とされるのは、周りの外輪山の山々を仏神に見立てたとき、その中心にあるのが火口だからである。
 拝観料を取られて入ってみると、想像以上に小さい。
 観光雑誌の写真を見ると、殺伐とした風景がずっと続いているように見えるのだが、あれは写真を撮るときに周りの緑を写さないようにした結果であって、実際は箱庭ていどのものだ。
 が、ものすごい不気味な感じがする。
 その原因は硫黄化合物の黄色に染まった岩でも、熱湯湧き出る泉でも、硫化ガスを吐く穴でもない。そこに無数に群れるカラスのためである。とにかくものすごい数のカラスがいる。イメージを出すためにわざと飼われているものなのか、自然のものなのかは不明である。しかし、人間をまったく恐れず、エサを奪うような行動を取るカラスは恐ろしい。新宿の待ちでゴミをあさっているカラスでさえ近づきたいとは思わないのに、こんな毛艶のいい、立派なカラスが無数にいては、恐くて当たり前だ。
 オレらにとって恐山は霊山というよりは、興味深い火山だった。硫化ガスを吹き出す穴の周りに見られる、硫化物のきれいな結晶。投げ入れられた一円玉が溶けて模様がなくなるほどの酸の湖。赤茶けた岩はきっと鉄が含まれているからだなどと、はしゃぐ。

オレたちゃつくづく理系だな

 想像とあまりに違い、最初はがっかりしたのだが、予想以上に楽しめた。ここに火山学者を連れてきたらさぞかし喜ぶであろう、そんな場所だった。
 外輪山に恐山を見下ろせる展望台があるようなので行ってみることにした。が、そこは通行止めになっていた。残念。

 再び外輪山の峠を越えて北上する。津軽海峡にぶつかったところにあるのが大畑の街である。ここに古い鉄道車両を動体保存してる団体がある。
 大畑駅の駅舎は今はバス停として使われている。無人だと思ったらキオスクにおばちゃんがいてびっくりする。おばちゃんはまったく部愛想で、無視を決め込んでいるようだった。
 ホームに行くと大畑駅の説明があった。
 かつて、大湊からこの大畑まで大畑線があった。しかし、それは今年の初めに廃止されてしまった。それまではこの大畑駅が本州最北端の鉄道の駅だったのだ。動体保存についても説明が書かれており、どうやら定期的に運転界をしているようだ。たしかに、駅のホームのところだけレールが100mちょっと残されている。ここを運転するのだろうか? それにしても

保存団体はなんとジャンボ機のパイロット達!

 空の男達でも鉄道に惹かれるものなんだなぁ。世の中というのはおもしろい。
 駅の自動販売機で、佐藤君がおもしろいものを見つけた。小さなペットボトルのポカリスエットだ。かなり冗談っぽいもので、販売見本だけだろうと思って買ってみると、本当にその小さなペットボトルが出てきた。これはレアだ!
 お土産に何本か買っていくことに☆

 ここから大間崎まではかなりの距離がある。移動距離が長いものでついつい一生懸命とばしてきたが、そろそろお腹が減ってきた。ここまで来たのだから、昼御飯には是非ともウニ丼やいくら丼を食べたい。道沿いにそういう食堂を探す。が、見つけようとするときに限って見つからないものだ。
 あと1.5km先という看板を見つけて、意気揚々とラストスパートをするが、それらしい食堂は見つからない。

また東北の看板にだまされてる!

 ようやく見つけた食堂は、がけの上に立つ、恐ろしいぐらい眺めのいい食堂だった。風が吹いたら建物ごと津軽海峡に真っ逆様に落ちていきそうだ。
 メニューにはいくら丼とウニ丼があった。両方食べたかったので「二食丼に」してくれと言ったら、なにやら困った顔をされた。おばあちゃんの東北なまりが強くて、聞き取るのが難しかったのだが、どうやらウニ丼とは別に生ウニ丼というのがあって、ウニ丼というのは火が通っているものらしい。だからあったかいウニ丼と冷たいいくら丼は合体できないらしい。生ウニ丼となら合体させてもいいが、値段jは生ウニ丼の方と同じになるという。みると生ウニ丼は高い…。せっかくここまで来たのだから、高くてもいいかとも思ったのだが、火の通ったウニ丼というものに興味が行った。二食丼を取り消して、ウニ丼を注文する。
 出てきたのは焦げ目の付いたウニを卵で閉じた、そう、いわばカツ丼のようなウニ丼だった。
 火が通ったウニは臭さがなく、焼くことで甘みが出ていた。生ウニの風味が嫌いというひとには、こっちをオススメする。ついついウニは生なほうがいいと思いがちだが、外側を焼いて、中が半生ぐらいのこの焼き加減、絶妙でうまい!

 お腹が一杯になったところで、居眠り運転に注意して大間崎へ。なーんかしょぼいなぁ、こんなところだったかなぁ。確か、本州最北端の碑って三角っぽくなかったっけ? 駐車場ももっとだだっ広かった記憶してるんだけどなぁ。と、佐藤君に言うと

それって日本最北端の方じゃないですか?

 おお、そうか、あれは北海道の記憶か!
 うーむ、もともととびとびな旅の記憶が、変なところで結びついちゃって、最近何がなんだか環からなくなってる…。ま、だから旅日記つけるようにしているのだが。
 もう10年も前の記憶で、すっかり忘れていたが、佐藤君に言われて記憶の糸がつながった。昔の記憶と比べると、随分と変わってしまっていたが、碑と、真ん前のお土産屋は昔のままだった。そうそう、ここでお土産買ったよ。
 NHKの連続小説の舞台になったということで、それ関連の碑が増えていたのが大きな違いだ。
 ここはただのお土産屋の集まったところでしかなく、観光地としては全然おもしろくない。尻屋崎に行ったのは大間崎では満足できないことがあらかじめわかっていたからだった。
 つまらない大間崎は一瞬で見学終了。日が暮れない内に帰路に就く。
 暗くなってから運転するのは嫌なのがひとつ。もうひとつは鉄道の遺跡を撮影したかったからだ。
 戦時中のことだが、北海道の炭坑から石炭を輸送するルートは函館−青森、いわゆる青函ルートしかなかった。ここが脊髄のようなもので、その重要性が故に、青函連絡船は攻撃目標となった。この幹線のバックアップとして、函館−大間ルートが検討されたのは当然のことだ。当時、朝鮮半島などから連れてこられた捕虜達を強制労働させて建造が急がれたが、未成のまま終戦を向かえることになった。
 大間から大畑までの国道沿いに、その遺構が残っている。これをちょっと見ていきたいのだ。
 来る途中にも、ちらちらと探していたのだが、なかなか見つからなかった。10年前に来たときには、結構たくさんあり、「こんなところに鉄道はないはずなのに?」などと思っていた。後で調べてこれが未成線のなれの果てだと知ったのだ。そのときは自転車だったからたくさん見つかったのだろうか。いや、恐らく崖崩れ対策の工事のためにだいぶ取り壊されているのだろう。
 そのなかの二つほどを見つけ、車を止めて見に行く。これができていたら、第2の青函連絡船があったかもしれないのだ。もっとも、もし完成していても、石炭の需要のない時代と共に、お払い箱になる運命だったかもしれない。 夕日を浴びる遺構は、どこか寂しげだ。未成線か、廃線か。どのみち消える自分の運命を悟っているかのようでもある。

 暗くなる前にと、車を走らせ、予定より少しだけ早く返却。大湊線経由で青森まで列車で戻ってきた。
 夜空に青森のシンボル、レインボーブリッヂがライトアップされて浮かび上がる。ライトアップの光は順に七色に変わる。それを背景にして青森駅を列車が発着している。
 そして最後の旅の友、寝台特急「はくつる」が入線してきた。
 佐藤君は初めてのブルートレイン。もちろん夜行列車の雰囲気を満喫するためにB寝台だ。いや、金がないからでもあるのだが…。せっかくだから上の段のベッドを使わせてあげようと思ったのだが、体の大きな佐藤君に、天井までの隙間の狭い上段はちと厳しそうだ。
 というわけで、上段はオレがいただく。この折り畳み式のはしごがかっこいいのだ。思わず無意味に開閉して、上り下りしてしまいそうだ。
 佐藤君の下段のベッドで打ち上げ開始。程なくしてはくつるは、客車特有の「がっくん!」という衝撃を伴って動き出す。北国からの寝台特急というのは、関西から帰ってくるときの寝台特急とは、少々感触が異なる。なんといってよいのか、自分でもわからないが、哀愁とか、郷愁とか、そういう雰囲気の言葉…。

 2002年12月、新たな時代が幕を開ける。八戸まで延伸した新しい新幹線と新特急の登場で青森はよりいっそう近い場所となる。だが、時代が変わっても、季節は変わらずに巡ってくる。
 「人は誰もが刻の旅人」という。
 来年も桜が旅人の心を北へといざなうだろう。
 そして「てつ」は旅人の中の旅人、つまり、旅人 of 旅人s。いざなわれれば全力をもって答える。移りゆく時代の中、新しく生まれた列車に乗り、懐かしい列車達に会いに行こう!

北へ!



 下北半島にある横浜町。菜の花畑の広がる美しい街。車窓からは緑と黄色の絨毯、その向こうには陸奥湾が見える。知らない土地なのに住んでる町と同じ名前だというだけで親近感が湧いてくるから不思議だ。
 写真は行き違うキハ110系「快速しもきた」。
(陸奥横浜駅にて)

 戦時中、青函ルートのバックアップとして建設されていた鉄道があった。結局敗戦により未成線となったが、これはその遺構。この他にも数カ所で遺構を見ることができたが、10年前と比較すると減っている。
 これは物置にされている…。
(国道279号沿いにて)

 交流通勤列車701系とライトアップされた青森ベイブリッジ。昔は写真奥側にある桟橋から青函連絡船に列車を載せて北海道へ渡った。今は全ての列車がスイッチバックして写真手前側から出入りし、青函連絡船の桟橋の方はひっそりとしている。
(青森駅にて)

 寝台特急はくつる。牽引車はEF81。青森と上野を結ぶ。新型の夜行列車も悪くはないが、やはりブルートレインがいい。ブルトレはロマンだ!
(青森駅にて)

2002.04.27-04.29