鋼鉄の愛馬と魔法の書が君を四大陸へいざなう。
知らない場所、初めての街、さまざまな出会いが軌道の先にある。
シャレてる暇はない。さあ、出発の時間だ!
第0009号
2001.04.14-04.15

2001.04.14-04.15

・VIVA雪解け!春の大地を揺るがす貴婦人 〜磐越西線〜


 C57180 SLばんえつ物語号。
 野沢駅への入線シーン。減速中のため黒煙はあがっていないが迫力は十分。列車交換でSLに会えるのも単線の魅力だ。
 すでに雪はないが、雪よけ板はまだはずされていない。
(野沢駅ホーム端にて)

→455系。郡山−喜多方間は電化されているため電車が行き来する。会津のシンボルカラー、会津塗りの赤と、3両に渡って描かれた雪山のような白とのコントラストが鮮やか。後ろにはまだ雪の残る山脈が見える。
 455という数字が書いてあるうえに赤いので、九州の列車を思い出させる。
(塩川駅連絡橋にて)


4/14(土) 〜東京〜新潟〜新津〜SLばんえつ物語号〜会津若松

 桜を追いかけて旅をする毎年恒例の桜旅。前回の九州の次は会津に行く。しかし桜前線情報によると、会津はまだ桜が開花していないようだ。会津若松の鶴ヶ城では桜祭りが行われるはずなので、例年よりも開花が遅れているようだ。桜旅の本当の主旨からは少しはずれてしまうかもしれないが、とにかく会津に行くのだ!
 理由は2つ。
 ひとつは鶴ヶ城の櫓の復元工事が終了し、この4月から公開されること。工事前、工事中と鶴ヶ城を訪れ、いつかいつかと待ちわびていたのだが、3年の歳月を経てようやく完成したものだ。
 そしてもうひとつが「土日きっぷ」の利用だ。以前土日のフリー切符として、JR東日本の列車がすべて乗り放題という「ウィークエンドフリーきっぷ」という豪気な切符があったのだが、採算がよっぽどとれなかったらしくなくなってしまった。それにかわってこの春から土日きっぷというフリー切符が発売された。値段はどちらも16kと変わらないのだが、土日きっぷの方はフリー区間が狭められて、北限が「村上(羽越本線・新潟県)」「新庄(奥羽本線・山形県)」「古川(東北本線・岩手県)」となってしまった。秋田新幹線で秋田までかっとぶとか、五能線を堪能するとかいうのができなくなってしまった。ま、一泊二日でそんなところまで行くなと言う話もあるので、普通の人はぜんぜん困らないのだろうけど…

「てつ」にとっては大問題だ!

 とはいえ、ゴールデンウィークなどの大型連休にはJR東日本3日間乗り放題の「ゴーゴー3daysきっぷ」が発売されると思われるので、遠くに行きたいときはそれを使えばいい。24kなので、盛岡まで新幹線で往復すればほぼ元が取れる。乗りまくらない人でも帰省に使えばお得になる人もいるだろう。

 さて、今回の道連れは以前からSLばんえつ物語号に乗りたいといっていた阿瀬見。前回はわたらせ渓谷鐵道に一緒にいったことがあり、ぶらり旅を理解し、ついてきてくれる数少ない貴重な人材だ。
 ちなみにSLばんえつ物語号は全席指定席なのでフリー切符だろうとも事前に指定席だけ確保しておく必要がある。
 なお、今回は比較的近場なのと、一泊二日という旅程のため、ノートPCを持っていかないことにした。そのかわり、デジカメのデータの吸い出しは旧カシオペア君に担当してもらうことになる。新カシオペアを買った今も旧カシオペアを所有し続けている理由である。
 いつもはラージバッテリー装備のメビウスをもっているため、それがなくなるとカバンが軽い軽い! ノートPCをおいていくのにカバンが2つでは意味がないので、荷物もひとつにまとめる。

ただし、どんなに荷物を減らしても時刻表だけは持っていくこと!

 てつとして、そして旅人として、それだけは忘れないで欲しい。約束だ!

 旅当日、いつものことだが天気は晴天♪ 慢心はよくないので感謝も忘れない☆
 阿瀬見とは東京駅で待ち合わせる。同じFで働く阿瀬見も暇がなく、彼の土日きっぷは筆者が購入しているのだ。東京駅の新幹線乗り換え口で待ち合わせ10分前に阿瀬見が到着。阿瀬見は時間に正確なので、たびてつするにはよい道連れだ♪
 今回の会津入りのルートには新潟経由の磐越西線を選択した。もうひとつ東北新幹線経由で郡山から入るルートがあるのだが、車窓は阿賀野川に沿って森の中を駆け抜ける新潟−会津若松間のほうが断然きれいだ。しかも単線ディーゼル路線なのも忘れてはいけない!(笑)
 そんなわけでSLばんえつ物語号は1000新津発の上り列車を予約してある。ただ、その時間に新津にたどり着くためには、少々東京を朝早くに出る必要がある。
 選んだ列車は東京発0640の上越新幹線あさひ303。入線してきたのは白と紺のツートンカラーにグリーンのラインの入った新色の200系。この車両、大幅に内装が改装されており、東北新幹線で走っている200系とはだいぶ異なる。シートは座席スライド&リクライニングで座り心地満点、前後の電光表示板も装備され、内装的には最新車両に匹敵する。しかも200系は車両重量のためもあって新型新幹線に比べると揺れが少ない。乗り心地は一番いいんじゃないかなぁ?
 上越新幹線に乗るのは久しぶりだ。しかも、この列車、熊谷に停車する。一応筆者の実家の上越新幹線最寄り駅なのだが、すっかり存在を忘れていた(^^; 時刻表をみるとほとんどの列車が通過となっている。…がんばれ、埼玉県民。
 駅弁を食べつつ、適当に会話をする車中。普通の旅なら阿瀬見はビールを飲んでいるところだが、ぶらり旅では結構歩き回るからか、ビールはなしだった。筆者が体調の関係で酒を控えているのを気遣っているのかもしれない。…いや、やっぱそれはないな(笑)
 新潟までは大した距離じゃない。新幹線でばびゅーんと行けばあっというまだ♪ 列車は楽でいいねぇ☆
 新潟駅から新津までは普通列車を利用する。SLに合わせて旧特急車両の165系によるSLリレー号が運行されているのだが、それよりも早い列車で新津へ行く。

発車前にSLを見たければリレー号を使ってはいけない!

 新潟駅では頭の上にダブルのライトがついた、珍しい旧型の481系(485系?)を目撃。カラーリングからして「みのり」か「いなほ」だと思うのだが、JRの列車カタログに載っているのはみんなライトがひとつのものだ。
 SLリレー号は165系の電車だ。その入線を待って、普通列車のキハ110型で一足先に新津へ。
 リレー号を使わなかったので、ゆっくりSLを見学できると思いきや、なんとSLにはすでに人だかりが…(^^; みんな気合いを入れてきてるのね。SLの運転席に入って記念撮影をできるため、長蛇の列ができていた。我々はもういい年なので、そういうのは子供や家族連れに譲ってあげるのが大人ってもんだろう。
 我らに遅れてくること15分、SLリレー号がやってくる。もうすぐ発車なので自分たちの席へとゆくと…

席がボックスになってない!

 手持ちの切符は15ABと16AB。新幹線ならボックスだ。ところが、この向きの変わらないもともとボックスになっている席の場合、ABCDでひとつのボックスとなる。
 そもそも、最初に駅員のおねーちゃんがとってくれたのはABCDの席だった。しかし、新幹線や普通の特急はABABもしくはCDCDでボックスなので「ABCDでボックスなんですか?」と聞いたら自信なさげな顔をし、後ろのおじさんに聞いて、ABABで取り直してもらったものなのだ。よくよく考えれば、普通4人と行った場合、機械が自動的にボックスになるように席を取るはずなので、下手な小細工はするべきではなかった(T_T)
 まあ仕方がないので居心地悪くても我慢しよう。すまん阿瀬見…。
 救いなのは席がそれほどいっぱいでなかったために、空いている席で車窓を眺められたことだ。
 で、窓から顔を出して先頭の機関車を見ていると、燃えかすのようなものが目に入ってきて痛い。同じJR東日本のSLであるD51498のほうではそんなことはなかったのだが…。それにC57180は途中2回ほど10分ほどの停車をして車両点検を行う。D51では見られなかった光景だ。
 初めてC57180に乗ったときは、復活してすぐの時だったので念のために点検しているのかとも思ったのだが、どうやらSLというのはそもそもそのぐらい面倒を見てやる必要がある機械のようだ。つまり、D51498はそういう手間を省くためにかなり現代風にアレンジした機体だという結論に達した。石炭ではなく、重油(普通のディーゼル車の燃料)を焚くように改造し、足回りも変えてあるのだろう。どうりで燃えかすが出ないわけだよ。
 C57は昔ながらの走りをしているという結論に達し、一段と愛着がわく。
 クリーム色に茶色のツートンカラーという客車の色も、初めて乗ったときは重厚感がなくて好感が持てなかったのだが、3年目の運行に入り見慣れたせいか、かなりおしゃれでSLばんえつ物語号に似合っているような気がしてきた。昔は優等車両に使っていた色らしいが、「貴婦人」の別名を持つC57が引くのならこの色でもいい気がする。
 さらに今年から時刻表に「展望車連結」と書いてある。この展望車、てっきり一番後ろの車両についているベランダみたいなもの、を想像していたのだが、なんと編成の中央に連結された窓の大きな車両だった。ロビーカーと呼称されるこの車両はどこから持ってきた車両なのか、ブルートレインの客車の改造と思われる。窓が左右だけでなく天井までのびていて、まさに展望車である。森は四季とそして天候でそれぞれ異なった美しさを見せてくれる。雨や雪の時でも車窓を堪能できるこの車両、結構良い考えかもしれない♪
 五泉を越えるといよいよ阿賀野川に沿って森の中をゆく、磐越西線自慢の風景にSLがとけ込んでいく。いくつものトンネルくぐり、鉄橋を渡り、川が右に左にと忙しい。まるで線路と川がじゃれ合っているかのようだ。

この景色こそが磐越西線を愛する理由だ!

 トンネルが多いので、SLのおなじみのイベントとして「窓閉め」が頻繁に行われる。「わあ、トンネルだ! 閉めろ〜!」と大声ではしゃぐ子供。

対して、”ひそかに”はしゃぐ俺達(笑)

 年寄り達は口々に「昔はもっと真っ黒になったもんさ」と孫に自慢げに話す。うーむ、SLのいつもの風景だ☆
 SLは広い年代層に受けいられていて、他のイベント列車と比べて格段におもしろい。おすすめだ♪

 さて、森の風景が終わり、街が見えてくるともう喜多方、そして会津若松だ。あのやる気のない「あいづわかまつ〜、あいづわかまつ〜」というアナウンス(アクセントはまつもと〜、まつもと〜に類似)が聞こえなかったが、なくなってしまったのだろうか? 聞こえなかっただけか?

 ばんえつ物語号が転車台に向かうのを見送る。さらに、運良く居合わせた「ばんだい風っこ」を鑑賞。去年デビューしたJR東日本の新しいジョイフルトレインで、キハ48型を改造したトロッコ列車だ。涼しげな木のテーブルと椅子、そして、レトロ感を出すためにむき出しにされたパイプがいい感じだ。ちなみに、磐越西線だけでなく、「××風っこ」と名前を変えていろんなところを走っている。

 駅舎を出て振り返ったところで妙な違和感があった。駅舎ってこんなだっけ? 阿瀬見と議論した結果、この瓦屋根は新しくできたもので、以前はなかったという結論に至った。城の工事が完成したのと合わせて、観光地としてアピールする目的があるものと推測する。

2001.04.14撮影の新しい駅舎。倉か城をイメージした瓦屋根ができた。観光都市という感じがする。右の写真の駅の上にある「花春」という看板がぎりぎり写っている。

1999.09.25の写真より。地方都市の駅という感じだった。
写ってる範囲が違うので、どこの部分がどのぐらいの規模で変わったのかわかるかな?

 城は駅から結構遠い。白虎隊で有名な飯盛山と城と駅がちょうど2kmの辺の三角形になっているので、いろいろ観光するならば駅の近くにあるレンタサイクルを利用するのが定番だ。が、飯盛山や他の観光地を見る気があまりなかったので、歩いて城まで行くことにした。ただ、いつもと同じルートで行くのはつまらないので、2本ほど通りをずらして城に向かう。
 歩き始めて数分、見慣れた看板を発見。「マイコンショップ若松通商」。秋葉原でおなじみの老舗だ。

って、会津若松だから若松通商なのか!?
もしかして本店!?

 確認は取らなかった。謎を謎のままにしておくのもおもしろい(笑)

 さて、鶴ヶ城が見えてきた。うーん、城の桜はぎりぎり咲いているかどうかと言うところ。しかし、桜の数が多いのでそれでもうっすらと桜色に見える。来週あたり、満開なんじゃないかなぁ。ま、つぼみでもいいもんである。鶴ヶ城の灯籠には市民の投稿した俳句が書いてあるのだが、その中に「酒・ビール あればつぼみで よい花見」というのがあった。まさにその通り!(笑)

 城内に入り、一直線で復元された櫓へ向かう。鉄門をくぐるとそれは夕日にそびえていた。2層の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋(みなみはしりながや)である。これが復元されたことで、天守閣−鉄門−南走長屋−干飯櫓の一連の壁が完成されたことになる。ここだけ見ると当時の城の様子がかいま見れる。
 干飯櫓の瓦は天守のものに比べてかなり赤い色をしている。内部で展示されていた復元の様子によると、普通の瓦では冬場にひび割れてしまうため、割れない瓦を試行錯誤した結果がこの赤瓦とのこと。当時の試行錯誤の結果もちゃんと調査して再現しているのだ。
 こういった歴史的建造物の復元にはいくつか手法がある。外観だけを復元する外観復元、これは見た目だけ似せるだけの全くの偽物で、作り方などはこだわらない。鶴ヶ城の天守閣や、大阪城などの多くの鉄筋コンクリートの天守閣がこれにあたる。これに対し、すべてを当時のままに再現する本当の復元がある。呼称は忘れてしまったが、当時の建物と同じ設計図、同じ材料、同じ技法で作り直すものだ。膨大な調査と費用、そして時間がかかるため、適用されることは少ない。個人的には外観復元は嫌いだが、再建された天守閣はほぼすべて外観復元だ。天守閣のような巨大な建造物を復元するにはお金がかかりすぎる。また、天守閣はそもそも軍事施設であるため、詳細な設計図などが残りにくい。現存していれば実物から設計図を起こすこともできようが、戦火で失われてしまった物については不可能だ。よって、わずかに残された古い写真などから外観のみを復元するのがやっとというわけなのだ。多くの天守閣が戦後の混乱期から成長期にかけて再建され、当時の人たちにとっては歴史的な価値よりも、そのシンボルとしての存在に価値を見いだしていたこともあってしかたないのかもしれない。ただ、最近はきちんと調査を行ってきちんと復元しようとする風潮にある。
 松本城の太鼓門やこの鶴ヶ城の干飯櫓などがそうだ。これらの復元工事を行う大工集団がいて、当時の日本の建築技術も着実に伝承されている。城マニアとしては嬉しいことだ♪
 阿瀬見に石垣やら城の構造について説明しながら一回りすると、もう夕方になっていた。
 帰りついでに只見線の西若松駅のそばの酒蔵博物館に行ってみることにした。鶴ヶ城の最寄り駅は実はこの西若松駅だ。もっとも、只見線の本数は日に十数本しかない。見事なまでのローカル線ぶりのため、途中下車の旅をするには3日ぐらい覚悟する必要がある。しかも途中には大きな都市はないときたもんだ。でもいつか乗ってみたい…。もっとも西若松駅から会津若松まではJRに乗り入れている会津鉄道(私鉄)があり、これは結構走っている。
 最寄り駅と言っても結構距離があって、さすがに疲れてくる。
 そしてようやくたどり着いた我々が目にしたものは…

閉まってる博物館…(T_T)

 雰囲気からして閉館時間なのではなく、ここしばらく開いていた気配がない。いったいどうなっているんだろうか? 結局詳細はわからなかったが、酒蔵の見学をしたいのなら、ここはやめて、鶴ヶ城の近くの歴史資料館の方をおすすめしておく。
 気を取り直して西若松から会津若松まで会津鉄道で移動。駅のそばのビジネスホテルに宿を取る。何も考えずに選んだので68kといい値段がした。ま、駅の目の前だし、会津若松なのでそんなものかもしれない。
 そして夜は、今回の隠れたメインイベントでもある飲み屋へ繰り出す。前回阿瀬見と旅したとき、筆者の体調不良で飲み屋に行き損ねているので、今回は阿瀬見も期待していたことだろう。昼間、酒を飲まなかったのも、これに備えてのことだろう☆ るるぶを見て、うまそうなこだわりの焼鳥屋、籠太なる店に決める。

って、ここほとんど鶴ヶ城のそばじゃんかよ…

 会津は城下町であり、会津若松の駅よりも城のそばが本当の市の中心街である。市役所などの公共施設、商店街や飲み屋なども城に集まっているのだ。仕方ない、また歩くか。今度は荷物もないのでたいしたことないけどね。
 籠太はこじんまりとしたいい雰囲気のお店で、それでいて値段も普通なのが◎。隣の高そうな懐石料理屋の主が趣味でやっているように見受けられた。

なにしろ親父、酒を飲みながら料理作ってるし(笑)

 ヱビスビール(ビン)がおいてあるのも、個人的にかなり高ポイント♪ とはいえ、せっかく会津まで来たのだから会津の日本酒を飲むだろう! ってな訳で3種類ほどいただく。うー、いい感じに酔っぱらったよ☆ 地元の料理もあって、変な名前の料理がいくつかあった。中でも印象に残ったのがジャガイモ。あっちでは「かんぷら」というのだそうで。なのに「じゃがバター」だけは「かんぷら」と書いておらず、客につっこまれていた(笑) カウンターだったので、そういう親父と客の話とか聞けておもしろかった。この店、会津のいいお店リストに加えておこう。
 いい酒は悪酔いしない、っていうか、冷でいただいたので恐いのは明日の朝ですか(^^; 酔いを醒ます意味もあって、まだ少し冷たい夜の空気にあたりながら、宿まで引き返す。

 SL、城、飲みと大満足の一日だった☆

4/15(日) 〜会津若松〜塩川〜三川〜阿賀野川ライン下り〜咲花〜新潟〜東京

 昨日、酔っぱらいだったので、今日の旅程は何も考えずに寝てしまった。出発時間だけは0800と決めたのだが、別に列車の時刻に会わせた訳じゃなかった。
 朝、少し酒が残っていたので、長風呂でなんとかアルコールを抜く。そんなことをしているうち、時刻表を確認しないまま宿を出発した。
 まずは朝御飯をGET…

な〜んてやってるうちに、0809の列車を逃す!

 ここは天下の磐越線、30分もすれば次の列車が…

あと2時間こねーよ(^^;
いやー、やっちゃいました(笑)

 だが、動じる二人ではなかった。
 とりあえず、土産でも買って、それから飯盛山でも観光したらちょうどいいだろ。

少々なしくずし的だが、今日の予定が決まっていく(^^;

 土産に所望した「五郎兵衛飴」は若松通商をさらに進んだ小さいけど古そうな店で売っている。気をつけていないと通り過ぎること請け合いだ(^^; 創業800年という年期の入った店で、しかも、この飴しか売っていない。これってすごい。飴は水飴を煮詰めたものをオブラートで包んであるだけのシンプルなもの。が、このシンプルさがいいのかもしれない。甘すぎず、後味もすっきり。歩き回る筆者にはよい栄養補給だ。あ、これってオブラートだからむかなくても食えるのね(^^;
 で、飯盛山。白虎隊が集団自害したことで有名な山で、会津観光では欠かせないのだが、筆者は

一度は行っておいた方がいいが、二度とは行かなくていいところ

と紹介している(^^; だが、そう言って何人も案内しているので筆者はもう4度目…。
 しかし、今回は朝九時ということで、誰一人いない飯盛山を初体験。いつもは観光バスで訪れる人の波にもまれるここも、人がいないと結構静かなところだ。お約束の「お城が燃えてる!」という台詞を発して鶴ヶ城を見下ろして観光終了(笑) あ、うそうそ、白虎隊が通ってきたという猪苗代湖から続く用水路は一軒の価値あり。数百年の時を経て、今もなお会津の水田を潤している水路には敬服する。
 駅に戻ってくるとちょうどいいタイミングで喜多方行きの電車が入ってきた。快速の455系で、電化区間の郡山と喜多方を往復している快速磐梯号である。最初、喜多方まで行ってラーメンでも食おうと思ったのだが、まだラーメン屋がやっていなさそうだし、なんかつまらないので、突然「塩川」という駅で途中下車。
 予想通り何もなかったが、晴れやかな空があった。今日も磐梯山の雪が青空に映えるいい天気だ♪
 駅に戻り、やってきたキハ110系で西へ。昨日SLで来た線路を逆に進む形だ。本当は窓の開くキハ48に乗りたかったのだが、このダイアでは来た列車に逆らうことはできない。キハ48は磐越西線の魅力を満喫するのに最適な車両だ。このキハ48がなくなり、すべてキハ110系になってしまったら、磐越西線はつまらなくなってしまうだろうなぁ。どうか、このオアシスが少しでも長く残りますように。
 まだ昼前だが、途中下車できるのはあと一ヶ所だけだ。磐越西線は距離がある。いくら細長い日本とはいえ、国を横断しているのだ。郡山から新潟まで4時間半かかる。甘く見てはいけない。
 午前中も結構歩いたので、うとうとしながらの汽車の旅。時々目を覚ましては森と川の美しい景色に目を細める。そしてまた夢心地へ…。そんなのんびりした時間も汽車ならではだ。やっぱ、単線の汽車が最高だ♪
 ああ、昨日の今頃はSLに乗っていたんだなぁ…と思ったとき、

む、もしかしてこれ、SLとすれ違うんじゃん!?

 時刻表で確認すると野沢駅の入線時間がSLと重なっている。列車の入れ替えが行われるのだ! そう言えば、昨日SLに乗ったときも野沢駅で普通列車と入れ替えしたな。
 ラッキーなイベントに眠気もぶっ飛ぶ。汽車が野沢駅に到着するなり、カメラを持ってホームの端へ走る二人。運転手も降りている。SLの汽笛が響く。来た!
 その写真がこの日記の冒頭の写真だ。SLは乗るのもいいが、見るのもいいもんだ。
 と、感動にひたる暇もなく、列車が出る前に慌ててキハに乗り込む。ふう、間に合った。SLの乗客に手を振りつつ、両列車は逆方向に走り出す。なーんか、心が和むなぁ。

 その先、途中下車したのは三川駅。阿賀野川ライン下りにチャレンジするのだ。実は今回、会津磐梯のるるぶしか持ってきていない。ここはもう新潟県なので、ガイドブックがないのだ(^^; とりあえず、駅の手前にライン下りの船着き場を確認していたのだが、いったいどこまで下って行くのかよくわからないので、三川の駅長さん(?)に尋ねてみる。親切にライン下りの船が出る時刻まで教えてくれた。そして、終点の先にある咲花駅まで、あらかじめ係りの人に言っておくと連れて行ってくれるという重要情報を入手することができた。これで川下りの後、この駅まで戻ってくる必要がないことがわかったのだ。駅長さんに敬礼!
 船乗り場で確認すると、咲花までは300円増しで連れて行ってくれるとのこと。そしてそこに温泉があることが判明。時間があれば温泉にでも入りますかね。
 さぁ、いよいよ出航だ。雪解け水で増水したどでかい阿賀野川に比べて船は小さい。座布団が救命胴衣を兼ねており、沈んだらこれにつかまって浮いていろとのこと。

溺れなくても、雪解け水の冷たさで死ねると思う…(^^;

 古田(ヤクルトのキャッチャーね)似の案内役が言うには、日本で1番水量の多い川だそうで。この古田(勝手に命名)のガイドは結構おもしろい♪ 川面から見る景色も、車窓とはひと味違って楽しめる。川から線路が見えるのだが、明治時代とかに作られた雪崩よけが今も現役で使われている。改めて考えてみると、こんなに大きな川のすぐそばに列車を通すのはかなり大変な工事だったんじゃないだろうか。今は車が普及して、使う人も少なくなったけど、当時はかなり望まれた鉄道だったのだろうなぁ。
 で、その道路はかの有名な田中角栄さんの力で作られた物らしく、あの橋も、あの雪崩よけも角栄氏の力によるものだと古田が力説していた。陸の孤島だった新潟の山奥の村に道路を通した田中角栄の業績は、今も新潟の人に高く評価されているのだと知る。最近の総理大臣の名前は忘れられても、田中角栄は忘れられることはないだろうなぁ…。
 水量が多いので、どんなにゆっくり下っても、いつもよりも早く下ってしまうそうな。船旅は50分ほどで終了。でもそれ以上に短く感じた。船酔いしない人は楽しめることを保証しよう。
 終点の阿賀の里で筆者達以外の乗客を降ろした後、貸し切り状態で船は咲花へ向かう。うぉっ、全速力だと結構速い。

さすがホンダエンジン(笑)

 あっという間に咲花に到着。温泉宿の裏口みたいなところにおろされる。これは結構貴重な体験かも☆
 咲花ではその名の通り桜が満開となっていた。船着き場の近くには線路とトンネルの出口、そして線路の脇には桜並木が続いている。これは絶好の撮影ポイントだ。さっそく時刻表をチェックすると20分ほどで逆方向の列車がやってくるようだ。乗る列車までは余裕があるので、温泉はちょっと後回しにして撮影することに。
 来たのはキハ48。これだよ、これに乗りたかったんだよなぁ。ま、しょうがないけど。
 咲花は温泉街だ。駅のすぐ近くにたくさんの温泉ホテル、旅館が並ぶ。というより、駅の近くだけの小さな温泉街だ。庭の桜が綺麗だったので、一水荘というホテルに飛び込んでみる。日帰り温泉は600円なり。露天風呂ではなかったが、ガラス張りの向こうに庭園のあるいわゆる展望風呂。脇には線路も見えて、ちょっと嬉しい。

うーん、線路を見て嬉しいのはかなり鉄分多くなってるかも(^^;

 ちなみに、鉄分というのは「てつ」な度合いを示す隠語(?)である。
 さっぱりして、体もだるくなっていいあんばいにあんにゅい。咲花駅に入線してきたのは待望のキハ48。すでに日も暮れかけているし、もう森を抜けてしまっているのだが、とりあえず乗れるだけよしとしよう。古い車両の心地よい「ガタンゴトン」が旅情を演出する。

 今回は古き良き時代のSLにロマンを感じる旅だった。しかし、この磐越西線の魅力はSLだけではない。今、どんどん数を減らしているキハ48型などのディーゼル車に出会える数少ない路線なのである。今度は是非SLに乗らずに、昔懐かしいディーゼル車でこの磐越西線を旅したい。最新の車両はみな窓が開かない。エアコンは確かに快適だ。しかし、人が旅に求める物は快適さだけではないはずだ。美しい車窓をガラス越しにしか見られず、風も感じられないのは悲しいことだ。
 窓の開く古い車両がどんどんなくなっていく。新しい車両が入るのは楽しみではあるが、その一方で古い車両がその列車人生を終えていく。メンテナンスなどのことを考えると難しいのかもしれないが、古い車両も一部残して欲しいと思う。自称「てつ」として5年経つが、その間だけでもいくつの列車がなくなったことだろう。「てつ」になってから、「あの列車がなくなる前に行っておかなければ!」という危機感というか強迫観念というか、そういう焦りみたいな感じが強くなっていく。
 単線ディーゼル路線に魅力を感じ、ローカル線を訪れるようになった。左右非対称の最新型気動車キハ100,110型が好きだったのは最初だけ。この最新型の導入で消えていくことになる、数々の旧式気動車こそが大切だと思う今日この頃。
 新しき物に変わって古き物が失われていく。時間の流れに逆らえないのならば、せめてこのちっぽけな「たびてつ」のホームページに、その存在の証を残し、記録しておこう。鮮やかな旅の記憶と共に…。そしてSLのようにいつかよみがえる日が来ることを夢見て…。


哀愁のキハ48。また乗りに来るからな。がんばれよ!
(咲花駅付近にて)

2001.04.14-04.15